Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまラオス

日本人の病気(冷蔵庫編)

日本人のゼロリスク病について書いたが、北朝鮮リスクは下手をすれば核ミサイルという問題で、議論が声高になりがちなので、庶民生活のなかにあるごく身近なゼロリスク病を見てみたい。

フランスにはみんなの冷蔵庫という知恵深い仕組みがある。地域のひとたちが食べきれなくなった賞味期限の近い食品を台所から持ち寄り、街角に置かれた冷蔵庫に入れると、食事に困ったひとたちが自由にもらっていく。

世界で年間9億トンを超える食品ロスは、生産や流通過程から出るものだと思いがちだが、実は6割が家庭から排出されている。わたしたちの台所が最大の発生源。だからこそ、みんなの冷蔵庫のような取り組みが重要ということになる。

ところがこれを日本でやろうと思うと、かなりハードルが高くなるだろう。ゼロリスク病のひとたちがうるさいことを言い始めるからだ。

「食あたりしたら誰が責任とるんだ」

そういうリスクはもちろんフランスにもあるが、みんなの冷蔵庫は利用者の自己責任で使うものだからとフランス人なら誰でも言うだろう。

「誰かが毒物を仕込んだらどうするんだ」

ううーん・・・特に日本には薄暗い愉快犯が多く、よその国よりリスクは高いかもしれない。でもそれを言うんだったらスーパーの商品に毒を仕込むことだって可能なわけで、危ないのはみんなの冷蔵庫ばかりじゃない。なんでも最悪のケースにばかりこだわるゼロリスク病にかかると、

「みんなの冷蔵庫には監視カメラをつけろ」

「中身が腐ってないかどうか所有者によるチェックを義務づけろ」

「冷蔵庫に鍵をかけて利用するたび貸し出せ」

「身分証確認」

てな感じで役所が管理する施設と変わらなくなる。こういう社会では市民による自発的な助け合い、草の根運動が育ちにくいと思うんだがどうだろう。

この点について近ごろパリに移住した俳優の杏さんは強く感じるところがあったようで、SDGsの番組に現地リポーターとして登場し、みんなの冷蔵庫について紹介したとき、「このまま日本でやれるというふうには思いにくいが・・・」と、フランスでは軽やかに行われることがゼロリスク社会では途端に速度がにぶる傾向についてコメントしていた(番組製作サイドからのお仕着せでなく、自分の観察眼から出た言葉として聞こえた。彼女は賢いね)

日本でみんなの冷蔵庫をやろうと思ったら監視カメラや鍵など防犯装置満載の装甲車みたいな冷蔵庫(中に入り込んだ子供が押す脱出ボタン付き)が警察・保健所の認可を得て設置可みたいな法律ができ、だけど1台100万円以上かかるから誰も手を挙げないなんてことが本当におきそうだと今書いてて思った。

なにごともリスクがゼロになることはなく、全体のバランスを見ながらリスクを許容する姿勢が新しい試みには必要だ。正義の声のふりをしたゼロリスクマンが出現するたび、わたしたちはこのことを心のなかで繰り返したい。

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