北朝鮮のミサイルが途中で消えたのにJアラートが鳴ったのはゴホーだゴホーだとメディアが騒いでるようだが、いい加減にしたらどうでしょうか。ミスには違いないけど、逆(ミサイルが来たのに鳴らなかった)じゃない限り批判がましく騒ぐようなこっちゃないと思う。この程度のことにこれだけ反応するのは世界広しといえども日本くらい。もっと大らかになろうよ日本人。
いつも言うことだけど、日本にはゼロリスク病が蔓延している。どんなものごとにもリスクはつきもので、それをなるべく抑えるのがリスクマネージメントなんだけど、始める前から「ひとりでも怪我したら誰が責任とるんだ」おじさんが出てきて、その場を支配してしまう。ゼロリスクは正論のひとつには違いなく、正面から論破することが難しい。「ひとりやふたり怪我するのはしょうがないんです」とか言いにくいよね?だから日本には世界で発明された新しいものの普及が遅い。新しい挑戦を後押しする気風と仕組みが乏しい。リスクをとって前進する気概を失った日本経済が二流に落ちる日はそう遠くないだろう。
だからわたしたちは、声の大きいひとたち(政治家やメディア)がリスクをめぐって騒ぎだしたら(わかってるよね?かれらは商売で騒いでるんだよ)眉に唾をつけて(つけないくてもいい)ほんとに騒ぐべきことかどうかについて考えてみたい。
たとえばJアラートは誤報リスク=ゼロが理想だけど、複雑なシステムだから短期間には実現できない。それをメディアがゴホーだゴホーだ騒ぐほどに政府はこの不具合潰しを最優先で進めざるをえず、ただでさえ忙しくしているはずの防衛まわりのひとたちへの負担は増すばかり。こんなことやっててミサイル攻撃から日本を守れるのかという問題意識に、わたしたちは目覚めるべきなのだ。
まずは気持ちを大らかに。恐怖や焦りで目を曇らせることなく。恐怖と怒りは老人特有の精神状態。ゼロリスクを叫ぶ声に踊らされない若々しい心を取り戻そうじゃありませんか。
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