Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまラオス

林家三平たたきの「べき構文」

「笑点」から林家三平が卒業することは番組にとっても本人にとってもめでたい展開だったと思う。笑いのセンス不足以前に、噛まずにしゃべれないという話芸者としての致命的な欠点を克服しないかぎり、笑点のように5秒コメントで勝負する世界では通用しないからだ。この5年あまり、三平氏はずいぶん苦しかったにちがいない(彼の「笑点」出演をゴリ押ししたと伝えられるおふくろ殿は今でも問題点を理解できず腹を立てているだろうが)。今後は無用なプレッシャーと失意から解放され、前向きな気持ちで精進していただきたい。

この件をめぐって目についたのがネット上での三平叩きで、そこには日本人のイヤラシサと悲しさが見え隠れしていた。

三平が近ごろえらく痩せていたのを笑点での心労のせいと勝手に特定し、そのうえで「痩せるほどツライんだったらさっさと消えればよかったのに」と石をぶつける単細胞ぶりはまだよろし。

痩せの理由がライザップと判明した瞬間、キレるやつが続出した。

「修業(ここでは修行が正しい)し直すとか言ってたのにライザップなんてやってるヒマあるんだ?稽古に費やすべきなんじゃないの?」

三平にとって修行しなおしとライザップの仕事は両立するから、これは大きなお世話。だが、失敗に対して不寛容な日本人はこういうとき「へらへらしてんじゃねえ」的な石をぶつけてくる。てゆーことはあれですかい?坊主刈りになった三平が半年も家に閉じこもって修行すりゃご納得いただけるんですかい?

しかも「稽古に費やすべき」って何?

三平の師匠でもないおまえがなんで「べき」とか言えるの?

と突っ込んでもしょうがない。俺たちよく考えずに「べきべき」いうからな。

わたしはあるとき気づいたんだが、日本人は書いても話しても「べき」をいうことが多い。

「〇〇したほうがいい」ではなく「〇〇すべき」という決めつけ調は、自分の主張というよりは世間の常識や絶対正義の響きを帯び、同調圧力の強い日本で常用されてきた。

わたしは海外に出て、アメリカ人をはじめとする世界のひとびとのコミュニケーションに触れるうち、日本人の「べき構文」が特異な存在であることに気づいた。

外国を真似しろと言ってるわけじゃない。

日常のいろんなシーンで「べき構文」を突き付けあうわたしたち自身の不幸について考えてみてはどうかと思っているだけ。

稽古に費やすべきとか言っちゃって、三平さんは他人だからまだいいとしても、あなた身の回りのひとたちに対して無意識に「べき構文」つかってない?

代わりにどう言えばいいのかって?

「もっと稽古に費やせば」と切り出せば、「大きく成長するチャンスはあるよ」というポジティブな展開になりやすいよね。

閉じた感じのコミュニケーションが開いた感じになっていく。

こういうことの積み重ねが日本を明るくしていくんじゃないかな。

皆もっと気づくべき。

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「オヤツは増やすべき」

そんな感じで2022年こそはよい年になりますように。

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