以前どこかに書いたかもしれないが、今回コロナによって「激変」した世界に、もしもインターネットがなかったらと思うことがある。
ネットがあるから手軽にリモート勤務やZOOM飲み会や買い物ができるのであって、もしもネットなき世界にコロナが来たら、人間の移動をふくむ社会活動の多くが停止し、街はゴーストタウン化、失業者は今の何倍にもおよび、人類は今現在の「激変」などとは比べものにならないダメージを受けたことだろう。
言いたいことは、アメリカ人に感謝しろと(笑)
インターネットを発明し、世界に開放したのはアメリカ人。
個人が使えるコンピュータを商品化したのもアメリカ人。
メール、会議、SNSなど無料のコミュニケーションを提供してきたのも、多くはアメリカ人。
地球上にアメリカという仕組みがあったことに少なくともわたしは感謝している。
これ日本人にいうとまあまあの確率で微妙な顔(イヤな顔の婉曲版)をされるから、ポピュラーな意見じゃないみたいけどね。
さいきん妻のところに「君がどれだけの難物と向き合ってたのか、よくわかったよ」というメッセージが来た。
送り主はダッカにいる同僚で、部署のメンバーはワッツアップなどSNSのグループ機能でプライベートにつながってきた。
ダッカ勤務中、職場では様々な問題が持ち上がり、そのほぼすべてがある大馬鹿野郎(以下OBY)に起因するものだった。
だが若いひとが中心のダッカの職員はどう対応してよいのかわからず、つまりOBYをなだめたりすかしたり、時には喧嘩腰で引っ込ませたりするという社会人スキルが未熟なせいで、右往左往するばかりだった。
かれらはリアルやSNSで集まるたびOBYへの呪詛を延々と述べたが、そこから先をどうすればいいのか知らなかった。
ひとりOBYに立ち向かったのはわが妻だった。
同僚の誰がどんな仕打ちを受けたのかについて詳しく聞き取り、その情報をもとに対策を考え、OBYをなだめたりすかしたり、時には喧嘩腰で引っ込ませたりという対人関係能力をフル稼働させて事態に対処した。
そのせいでかなりの問題が解消または軽減される過程をわたしは横で見ていたが、おだてるにせよ喧嘩腰にせよ、諄々と正論を説いて軌道修正していく危機管理能力はすごいと思った。
ただしOBYは、自分の意見を好き勝手に押し通すことができなくなり、プライド(笑)を傷つけられて面白くなかったのだろう、妻に対してどんどん冷たくなり、会話中に怒声を浴びせてくるなど、その敵対ぶりは顕著だった。
妻はひとりで血を流し、仲間を守った。
そういえばカッコ良すぎるかもしれないが、実際そういうことだったと思う。
ただし、上記の大半が9ヶ月のアメリカ退避中にネットを介して行われた水面下の出来事だったこともあり、同僚たちは妻のたたかいをほとんど目にすることなく時が流れ、妻はダッカを離れた。
体を張って対峙してくる者がいなくなったせいでOBYはにわかに元気づき、アホのかぎりを尽くすようになった。
さいきん職員のひとりが「あまりの暴虐」に堪忍袋の緒を切らし、OBYに抵抗したところ、「ボッコボコのぐっちゃぐちゃにこじれちゃったよー、君がどれだけの難物と向き合ってたのか、よくわかったよ」と言ってきたのだそう。
気の毒だけどなんにもしてあげられないわーと溜息をつく妻。
そうだよ、君は世界中の不正をただし、知り合い全員を救うことはできない。
ただしこうしてSNSでつながっているかぎり、地球の裏側で起きていること、それに関わるひとたちの息遣いをリアルタイムで知ることができるってのはスゴイことだね。
思うんだけど、ネット以前の国際転勤族ってのはどうやって暮らしていたのか。
妻を見ていると、同期入省の仲間、勤務地の仲間のほか、省内の有志が立ち上げた巨大グループ、そのなかでも女性だけのグループなど、さまざまなチャンネルを通して情報を集め、仕事と暮らしに役立てているわけだが、ネット以前だったらごくたまに一番親しいひととだけ国際電話みたいな・・・?
わたし自身をふくめての話、インターネットがなかったらどれだけ不便で淋しい暮らしになることか、あらためてアメリカ人の発明に感謝せんとなあ・・・
なんてストリーミングサービスで日本のテレビを見ながら思ってみたりして。
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