奇跡のような偶然の連続により助かったひとがいる。
妻の知り合いの知り合いは、ビエンチャンの道路をバイクで走行中に事故った。毎月数十人がバイクがらみの事故で死亡する街でバイクを運転すること自体がアレなんだけど、とにかく彼女は脚に大きな怪我をした。大量出血しており、放置すればほどなく命を落とすレベル。
そこへたまたま通りかかったのが元看護師の女性で、手近にあるものをうまく使って止血処置をしてくれた。
救急車が来て病院に担ぎ込まれたが、ラオスの病院は、治療費の支払い能力の証拠を見せなければ、どれだけ重症の患者であっても治療を開始しない。
そんな何万円ものキャッシュを持ち歩くひとはいないし、ラオスではクレジットカードが通用しないところが多く、彼女は持ち合わせがなかった。
治療を始めるよういくら懇願しても病院スタッフは首を横に振るだけ。止血はしたものの、このまま放置すれば脚が壊死する可能性がどんどん高まる。事情は知らないがこのとき彼女は携帯電話を持っておらず、誰に救いを求めることもできずにいた。
万策尽きたかと思ったそのとき、その日彼女が訪ねることになっていた友人が病院へ電話をかけてきた。約束の時間を過ぎても姿を現さず、電話も通じないことから、どこかで事故にでも遭ったものかと考え、病院という病院に片っ端から問合せを入れていたのだ。
病院にすっ飛んできた友人がクレジットカードを提示して支払い能力を示したところでようやく治療開始。事故のあった日、たまたま友人を訪ねる予定があったおかげで彼女は脚を失わずに済んだわけだ。
度重なる「たまたま」がなければ命がどうなるかわからない国、ラオス。
外国人はお金を持っているからナントカナルサと思いがちだが、そのへんを歩いているだけでも交通事故には遭うし、いつも十分な現金を持ち歩いているわけでも、何があっても壊れないケータイを持っているわけでもない。
国家の貧しさというものはこういうかたちでわたしたちの身にも降りかかってくるのか。
洒落にならないリスクだと思う。
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