長年勤めた放送局を退職する日、思いがけず懐かしい先輩に会った。Kさんは優秀なディレクターで(わたしの2倍は頭の切れる秀才)、そのうえ能力があるくせに人格もすぐれているという、局内では珍しい尊敬すべき人物だった。
Kさんは若いころ同じ部屋で働いていたわたしを可愛がってくれた。後輩のアホな悩みにじっと耳を傾け、静かなアドバイスをくれた。Kさんが運転するバイクの後ろに乗っかって走ったこともある(なぜかあれはわたしのバイクだったが)。
Kさんがつくる番組は、心に迫るものが多かった。ある若者の死をめぐるドキュメンタリーでは、ナレーションを担当した俳優(故川谷拓三さん)が途中で涙が止まらなくなり、しゃくりあげて声が出ず、録音がしばし中断したというエピソードがある。
互いに長くなった局歴のうち、同じ部屋にいたのは2年にすぎなかったが、全国の放送局が参加する「ゆく年くる年」では、Kさんが東京で番組を統括する責任者、わたしが雪深い地方局の責任者として指揮下に入り、電話で懐かしい声を聞くことができた。
その後わたしは無給休職して渡米し、翌年退職にいたったのだが、そのあいだにKさんが白血病にかかったことを知らされていた。「どうですか?」と電話で尋ねるわけにもいかず、心配しているうちに時間がどんどん経ち、退職のときを迎えてしまった。
帰国して1年ぶりに局舎を訪ね、事務手続きを終えてから最後に所属していた部署へ挨拶に行ったら、思いがけずKさんがいた。
「いよう、お久しぶり!」
くるりと事務椅子をめぐらせ声をかけてきたKさんは、声こそ少しかすれ気味ではあったが、まずはお元気な様子。わたしの退職ストーリーについて尋ね、「そうかそうか、自分の決めた道でがんばることだね。うまくいくことを願ってるよ」と穏やかなエールを送ってくれた。
Kさん自身は白血病の治療中とはいえ体調が上向いてきたので、限定つきながら職場に復帰し、社会番組「クローズアップ現代」の制作にかかわっていくのだと話していたが、そのKさんの瞳は異様なまでに澄んでいた。奥深くまで見えるほど透明だった。
瞳どころではない、手も顔も透き通っているような、全身から後光を発しているような美しい姿。
(あっ・・・)
もう長くはないのだと、勘の鈍いわたしですら即座に理解できるほどだった。K先輩の訃報が届いたのは、それから2ヶ月後のことだった。
このことは、いわゆる霊的な体験だったとは思わない。ただ、いのちを燃やし切ろうとする人間が見せた奇跡のような光を、生涯忘れることはないだろう。
いま初めて思ったんだけど、自分は死の間際にあんなふうになれるだろうか。修行ということばは少しずれているが、そうしたものが全然足りてないような気がしてならない。
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