タイへ買い物に出かけたのは妻の職場の職員家族互助会みたいなものが仕立てたツアーで、普段はラオスの文化体験やチャリティーイベントへの参加、ハロウィーンほかのアメリカの行事など、多彩な活動をしている。
今回の買い物ツアー参加者8名のうち、2家族5人は夏に赴任したばかりの新参者。すでに全員が顔見知りではあるが、長時間を一緒に過ごすのは初めてで、互いにキャラを見定める機会となった。
わたしは最年長であるうえ日本人男性だから、日本についてある程度知っているひとからは「もしかしたら取り扱い注意・・・」と少し警戒されていた可能性がある。序列意識が強い、女性に対してえらそうに振る舞う、冗談が通じにくいといった芳しくない評価が日本人男性に当てはめられることが多いからだ。
ところがオイラときたら会社でえらくなりたくない、目下のひとから酒を注がれるのをできるだけお断わりする、女性へのサービス精神を発揮して(ときに余計な)ギャグを飛ばすというふわっふわに軽い男。今回のツアーでも場を和ませるべく下手くそなりに気を遣ったつもりだった。
翌朝、ツアーでリーダー的な役割を負っていた奥様から連絡あり、夕食に招待される展開に。もしかしたら「一緒に過ごしても居心地が悪くならないおっさん」認定されたのかもしれない・・・というのはその翌日になってからふと思いついたことだが。
お宅にお邪魔して最初に目に入ったのが一枚の地図だった。
1930年代にアメリカの教育現場で使われていた世界地図。各国の版図は現在とたいして変わらないが、ひとつ明確に違うのは極東。
日本列島と朝鮮半島と台湾が同じ色で塗られ、Japanese Empire 日本帝国と表記されている。
わたしたちと、ゲストのもうひと家族と、この家の奥様は、日本帝国の3地域の血をそれぞれ引くものであった。旧被支配者の立場から嫌味のひとつも言われたんじゃないかとご心配の向きもあるかもしれないが、そんなことはなかった。みなさん若いし、アメリカ人だし。現代史の出発点ともいえるこうした地図はリアルで興味深いねえと皆さん面白がっていた。
この地図でもうひとつ現在と大きく違うのは仏領インドシナの存在。
現在のベトナムとカンボジアとラオスが一色に塗られている。戦時中の1945年、この地に進出してきた日本軍がフランス植民地政府を解体し、ベトナム帝国・カンボジア王国・ラオス王国を独立させ(正式な独立は戦後)、地図を塗り替えていったという歴史もある。そんな土地ラオスにいて、アジアのさまざまな血を引くひとたちとメシを食い、語らう。たいへん不思議な夕べになりました。「日本帝国」の末裔として。
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