Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまラオス

ヤクザ業界のことだから

ジャニーズ事務所問題がここへ来てようやく白日の下にさらされ、日本のメディアでまともな人権感覚を持っていたのは週刊誌だけで、大手メディアにとって人権など二の次であることがバレてしまった。口ではきれいなことを言っていても、自分たちの商売(有力事務所からなるべく多くのタレントを供給してもらうことで視聴率をとる)に差しさわりのある事柄には知らぬ顔の半兵衛を決め込んできたのだ。

この件について一番罪が重いのはNHKだと思う。公共の電波をジャニーズ事務所に乗っ取らせ、ジュニア番組から紅白歌合戦のステージにいたるまでジャニタレを山ほど起用する一方、ジャニーズ事務所の人権問題いやジャニー喜多川の犯罪行為をほぼ無視してきた。

公共放送がそれだったらウチはいいか・・・

なんだかんだいってNHKのふるまいを行動基準のひとつとしてきた民放がそう考え、足並みがそろってしまった部分はかなりあると思う。わたしが知るかぎり、現時点までにジャニー喜多川事件の被害者に対して報道人としての至らなさをまっすぐな言葉で謝罪したのは日本テレビ DayDay の武田真一アナ(元NHK)だけ。それ以外のひとたちはどこか他人事という雰囲気を感じているのはわたしだけだろうか。

DayDay で被害者橋田康氏に詫びる武田真一アナ(9月8日)

と厳しく指摘したうえでの話だが、大手メディアによるジャニーズ事務所の扱いが大甘だった背景には、芸能業界自身の闇がある。四捨五入していえば、芸能プロダクションの先祖を江戸時代までさかのぼると、それはヤクザだった。歌と踊り、奇術、芝居など旅の芸人がやってくるたび、その地域のヤクザが興行を仕切っていた。芸人に対して興行の安全を保障するかわり、売り上げの何割かをピンハネしてしのぎにしていた。

そうしたヤクザ一家のしきたりは、子分は親分に絶対服従、外へ飛び出した者は破門され、どこの一家でも雇われることのようないよう破門状が全国に回されるという、たいへん閉鎖的排他的なものだった。時代を経て旅芸人が土地に定住し、恒常的にヤクザの監督下に置かれるようになると、一家の子分と同様の扱いを受けるようになった。すなわち、他所へ逃げだせば破門状がまわされて芸ではメシが食えなくなる、半奴隷の立場であった。

今でこそ破門状などという物々しい用語は使われなくなったが、多くの芸能事務所には芸能人を半奴隷視する感覚が濃厚に残っている。「育ててやったのに出ていくケシカランやつ」が芸能界ではメシが食えなくなるよう干してしまう芸能プロ相互の不文律は、今でもはっきりと生きている。

そうしたヤクザ感覚とは無縁で、芸能人を半奴隷あつかいしない公明正大な芸能プロはいくつも存在する。ただ、芸能界をとりまくメディアの側に、「あれは特殊な世界だから」と、芸能人の人権の軽さを黙認する姿勢が続いてきたことは確かだと思う。その果てに、ジャニー喜多川というモンスターが猟奇のかぎりをつくし、歪んだ悦楽行為を途切れなく続けるための犠牲者無限供給装置でもあったジャニーズ事務所の歴史的な繁栄があったのだ。

繰り返すが、芸能界の現状について「あれはヤクザ業界のことだから」とアンタッチャブルにしてきたメディアの責任は重い。ジャニーズ事務所にとどまらず、おそらくどの業界よりも人権侵害が著しい芸能界に対して「ダメなものはダメ」と言ってこなかったことを心の底から恥じるべきであろう。

わたし自身も恥じなければならない。ジャニー喜多川による性加害をほぼ事実であると認識しながら、これを重大な犯罪行為として告発すべく調査報道に走らなかった番組制作者のひとりがわたしだ。そのころの自分が「ちゃらちゃらした芸能事務所のスキャンダルなんて週刊誌にまかせておけばいい」と考え、被害者にとっての人権問題という認識が希薄だったことを告白しておく。

例によって例のごとく、黒船来航により日本の情勢は変わろうとしているが、西欧やアメリカと比べて人権感覚のかなり希薄な日本のメディアがどこまでやれるのか、賢明な視聴者諸氏による監視と評価が大切だと思う。

言い添えておくが、芸能番組を抱えるテレビはダメでも、新聞がもうちょっと頑張ってくれればよかったのにと思うところが正直いってある。だが日本の主要紙はいずれもテレビ局との系列であり、テレビ番組制作に支障の出かねない報道を新聞が自粛したことは確実だろう。そんなことを自己検証してみせる新聞がいたら、少しは明るい光も見えようというものだが。

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