Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまラオス

生きるか死ぬかのオランダ

アムステルダムから1時間半ほど走ると、低湿地帯の一角にヒートホルンという村がある。網の目のように張り巡らされた運河沿いに茅葺屋根の農家が建ち並ぶ風景は「オランダのベニス」とも称されるそうだが、欲望とゼニにまみれてぎっとぎとの輝きを放つベニスと比べれば、ヒートホルンは比べものにならないくらい素朴で清潔。

フランスのアミアンにも似たような運河地区があったが、なんというか世捨て人の隠棲地じみた雰囲気のアミアンと違い、ヒートホルンからは整然とした秩序を感じる。ただし住むとなれば景観保存のための事細かなルールを厳守せねばならず、よほどのカクゴを持って臨む必要がありそうだ。

ところでヒートホルンという村の名は、ヤギの角を意味する。13世紀にここへ入植してきた農民が土を耕したところ大量のヤギの角が出土したからだ。ヤギは、それから2世紀前に発生した巨大洪水によって流されてきたものだった。ご存じのようにオランダは国土の1/4が海抜ゼロメートル以下にあり、繰り返し大規模な水害を被ってきた。もちろんヤギばかりでなく多くの人間が命を落とした。

ここでアムステルダムに話を飛ばすと、市の旗はこんなデザインになっている。

3つの×印は、火事、洪水、ペストを意味している(と観光ガイドさんが言っていた)。

密集度が高く、交易都市としてひとの出入りが盛んなアムステルダムにとって火事とペストは大敵で、都市としての存亡にかかわる大きな被害を何度も経験している。洪水も繰り返しアムステルダムを苦しめ、壊滅の危機にまで追い詰めることがたび重なった。

アムステルダムであれ、「ヤギの角」村であれ、オランダという国家は他に類を見ない悪条件のもとに拓かれ、他国の数倍、もしかしたら数十倍の努力により命をつないできたと言えるのかもしれない。生きるか死ぬかのオランダ、という言葉が脳裏をよぎる。

ヤギの角村も、別の意味で生きるか死ぬかを経験している。14世紀から始まったピート(泥炭:イギリスではウィスキー製造の燃料として知られる)生産で栄えてきたが、19世紀イギリスの産業革命により燃料の主役を石炭に奪われ、ヤギの角村のピート経済は破綻した風車が掻き消えた経緯と同じ)

長く寂れていたヤギの角村に、誰も予想できなかった変化が訪れたのは1958年のこと。大ヒットしたオランダ映画「ファンファーレ」の撮影地となったことにより一躍注目され、内外からの観光客が続々と詰めかけた。

最初は邪魔な見物人でしかなかった観光客にアルバイトで小舟を貸していた村民は、やがて観光を本業にしたほうがよほどお金が儲かることに気づいた。それまでは大半の村民が牛を飼って細々と生計を立てていたところ、牛はアッという間に姿を消したという。

そのことをわたしたちは決して嗤(わら)うべきではない。20~30年ごとに行う茅葺き屋根の葺き替えには、1平方メートルあたり100ユーロ(今なら1万5000円)かかるといい、これは観光でしっかり儲けているからこそ可能なわざだろう。

むかしは牛数頭を運んでいたボートが観光客を乗せてのんびり通り過ぎるヤギの角村ヒートホルン。国の生き死に、村の生き死にについて感じるところのある風景。オランダというのは面白い国だと思った。

ブログのランキングというのがあって、これをポチしていただくとたいへん励みになります。

にほんブログ村 海外生活ブログ アメリカ情報へ