今回のがサイアクだった。
1月末にダッカから送り出した航空貨物。3箱のうち1個はこうなっていた。
高所からドッスーーーーンと落としたものと見て間違いないだろう。
箱のボール紙は分厚く、たいへんしっかりしているように見えたが、運輸業者の扱いのほうが勝ったようだ。
救いは、ぶっつぶれた側には衣服が入っており、中身の損傷がなかったこと。
もうひとつの箱は、完全に開放状態だった。
荷造りテープがすべて破られているだけでなく、頑丈なPPバンド(乱暴に扱ったくらいでは決して切れない)がきれいになくなっているのは、誰かが明確な意図をもって開梱したからだろう。
税関の検査とかだったらしょうがないが、開けっぱなしで放置するってどんな人間かと。
今回のぶっ壊れ具合は、過去に見た航空貨物のなかで間違いなくワースト1だったが、いまさら文句は言うまい。
それよりも、シアワセの素が箱から出てきたことを喜ぼう。
茶飲みであるわたしたちは、いちいち湯を沸かすことが面倒で、象印ポットには長年お世話になっている。5月までこれで行けると思うだけで大袈裟じゃなくるんるん気分になるのだ。
ちなみに、航空貨物に家電を入れるのはギャンブルだからおすすめしない。もしも1個目の箱のぶっつぶれた側に象印が入っていたら、という話。
本日のテーマは、「ああ俺たちダッカを離れたんやなあ」と思ったこと。
航空貨物のなかにはドアに吊るすタイプの小物入れが入っていたのだが、取り出して広げてみたら、透明だったはずのビニールが煙でいぶされたかのように黒っぽくくすんでいた。
繰り返し書いたように、ダッカの大気汚染は世界最悪レベルで、ありとあらゆるものに煤(すす)が不着する。
小物入れもその例外ではないが、毎日見ていると変化に気づきにくく、アメリカへ来て「おお、そうやった・・・」となった。
安いものだから新しいのを買えばいいのだが、悔しいから洗ってみた。
ビニール部分は透明を取り戻したが、一番下の白い帯の汚れが落ちきらず、清潔感を欠くため、ブリュッセルまで持って行くことはしないだろう。
もうひとつ、ほんとにダッカを離れたんだ感が強まったのは、使い慣れたまな板が出てきたこと。
わざわざ写真で見せるようなもんじゃないが、これを手にすることで、新しい生活が始まったんだという実感が湧いてきた。
たった2年のダッカ暮らし、しかもそのうち9ヶ月はコロナ退避で留守にしていたとはいえ、濃厚そのものの体験だったからだろう。
いろんな意味で忘れがたい。
ブログのランキングというのがあって、これをポチしていただくとたいへん励みになります。