Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまラオス

失われた古民家

わたしの実家は2009年に建てたもので、以前にはこの敷地に江戸時代の家があった。

わたしは小学校へ上がる直前の昭和39年までそこで暮らしたが、断片的な記憶ながらいつも薄暗くて寒い建物だった。

トイレと台所は屋外にあり、とくに台所は屋根こそあるものの吹きさらしで、現代の健康で文化的な暮らしなど夢のまた夢の過酷な環境だった。

父の姉・妹・母たちはそんな家に暮らしながら次々に結核を患い、必死の治療かなわず死んでいった。ペニシリンが日本に入って来る以前の話。

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そんな家へ嫁にきたわたしの母は、幼いころ結核などで両親を亡くし、自身にも病弱なところがあり、結婚後は死産や流産を繰り返していた。

そんななか父は一念発起することとなり、家を建て替えた。

そのころはお金もなく、相当の覚悟をもって新築に踏み切ったのに違いないが、台所を南向きにもってくるなど、母への配慮のあとが十分に見て取れるものだった。

その家も築後45年を経たところで多少の事情により再び建て直され、今の建物になった。

断熱や換気など新しい技術が盛り込まれ、床暖、バリアフリー、居間の隣に母の寝室を置き、専用トイレを付け、80歳超の老体が安楽に暮らせる家になったと思う(レイアウト by オットー、設計 by 高校同級生の建築士)

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母が過ごした居間

そういうわけで道具としてはよくできているこの家で民泊を開業すれば、それなりに快適な滞在をしてもらえると思う一方で、江戸時代に建てられた「古民家」だったらよかったのにという思いもある。

古民家がもつストーリー、魅力的だもんね。民泊の予約サイトを見回すと、古民家の宿はたいそう人気らしく、ビジネス的にもおいしいはず。

オラの旧実家だって、最新技術を投入してしっかり改築し、むかし商売で使っていた道具のほか、江戸期の菖蒲人形・雛人形、わが家自慢の祭り山車のミニチュア(高さ1メートル)などを展示すれば、博物館のようなお宿になり、とてもやり甲斐のある仕事・・・

という夢は、古民家に注目が集まり、それを快適な住居に変える技術が発達した時代だから語れるものであり、半世紀以上もむかしのわが父に要求するのは無理スジ。

しかも実際問題として、古民家の本格的な改築なんて何百万円あっても足りず、そんな資金をぶっこんで商売に乗り出すようなタマではないから、本気で残念がっているわけではない。

ただ、古民家の価値が再発見されるはるか以前に姿を消した旧実家をおぼろげな記憶で振り返るにつれ、あれはあれで味わいのある建物だったと甘酸っぱく思ってみたりする。

それにしても民泊業界の復活、今年中なんて夢のまた夢っぽい。

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