Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまブリュッセル(ベルギー)

思いを込めたちっぽけなコタツ

土蔵は、人生模様の収蔵庫でもある。

わが家のような平民の家の土蔵には、世間でいうところのお宝なんぞ皆無に等しいが、そのかわり名もなき庶民が必死に生きた足あとを見ることはできる。

 

なんの変哲もなさそうなカバン。

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親父が貼ったラベルには、「大東亜戦争中、皮革代用品旅行鞄」とある。

獣皮はすべて軍用にとられてしまった時代、民間では紙を貼り合わせてなんでも作っていた。資源の乏しい国が大それた軍事行動を起こすとこうなる。

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おそらくこのカバンは、5人きょうだいのうちのたったひとりの男子だった親父ものだろう。戦時中に大学を出てすぐに軍隊にとられるまで使っていたのかもしれない。

このカバンにまつわるストーリーを親父から聞くチャンスはなかった。

 

これをひと目見てなんだかわかる人は、趣味が濃い。

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天秤ばかり。今はどうか知らないが、理科室にあったよな?大小の分銅をつかって薬品などの重さを計るやつ。

親父は昭和20年代から30年代にかけて働きながら博士号の取得を目指したのだが、医学関係の分野のため、さまざまな実験をしていたのだろう。

見たところこの秤はモノがよく、値が張っただろうと思う。当時の親父の収入を考えれば相当な出費だったはずだが、がんばって研究に打ち込んだんだなあ。

わたしが小学校2年生のころ、汽車で4時間の県庁所在地まで一家で出かけた記憶がある。そこにある国立大学で行われた学位の授与式に出席するためだったと思うが、残念ながら肝心なその部分の記憶がわたしにはない。

ともあれ親父は田舎町には珍しい博士号もちとして「せんせ、せんせ」と慕われ、それに見合うような地域社会への貢献を成し遂げた。客観的に見て、まあまあ立派な人物だったと思う。

それに引き換えわたしは親父の爪の垢を煎じて飲むこともなく、飲んだとしても薬効なく、目の前の現実に流され流され、凡庸なままでここまで来てしまった。

 

厚い埃の下からコタツが出てきた。

30センチ四方の小さなやぐらのなかに陶製の炭火入れ。こういうのを就寝時、足元に置いて使うことが多かった。

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親父の字で、「昭和27年11月3日新調」とある。

それから1ヶ月半後、わが家に長男が生まれることになる。

コタツは、寒さが厳しい土地で身重の妻のからだを温めるものだったのだろう。

母は長男を身ごもる前、死産と流産を経験しており、夫婦ともに「今度こそ」という思いが強かったにちがいない。

雨戸の隙間から寒風吹きむ古びた家。こんな簡素な暖房ひとつに家族の命運を託すのだから、貧しいといえばおろそしく貧しい時代。

それでも若い夫婦は胸に希望をいだき、がんばっていた。

ちっぽけなコタツから立ちのぼる、名もなき庶民の人生模様なのであります。

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