Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまラオス

もしもオスプレイがなかったら

鹿児島の海に沈んだオスプレイについて、事故の当初からマスコミは色めきたち「危険なオスプレイ」「住民不安」を叫ぶようにして伝えてきた。

安全性の追求は米軍と日本政府にとって当然の責務であり、事故についてあれこれ言われるのは当然のこと。

だけど不安を煽りたてるようなメディアの言説を耳にしながら、わたしたちが忘れてはいけないことがふたつあると思う。

ひとつは殉職した米軍人への哀悼の意だ。かれらは日米安保条約の定めによりわたしたちを守るためにここへ来て、命を落とした。

若い兵士のなかにはネブラスカやインディアナなど、ほとんどの日本人がその場所を知らないような田舎から出てきて、どこだかよくわからない地球の反対側に送り込まれ、日本人を守るために働いてきた者もいるだろう。かれらの努力に感謝し、その死に際して哀悼の意をささげるのが人間として当然の行為だと思うのだが、ワイドショーあたりでそういう発言をした「識者」はどれくらいいるだろうか。今でも日本は、米兵の死に首(こうべ)を垂れた瞬間に批判を浴びるような狭量な社会なのだろうか。

もうひとつは、オスプレイの危険性だ。日本政府は、オスプレイの事故率が他の航空機と比べて高いわけではないとの説明を繰り返してきており、一方でそれを否定するような統計も存在し、かなり難しい問題だ。

安全性について議論の余地がありそうなオスプレイをなぜ米軍のみならず自衛隊までが導入して飛ばしているのか。それは中国との軍事衝突が南の海で起きたとき、その前線となりうる南西諸島においてオスプレイが他の航空機とは比べものにならない機動力を発揮するからだ。

1200kmにわたる南西諸島に部隊を展開し、戦線を維持することは困難をきわめる。だがオスプレイは、ヘリコプターよりずっと速く、ずっと重い荷物を積んで飛び、飛行場のない小島にも垂直離発着することができる。

もしもオスプレイなくして南西諸島を守ろうとすれば、米軍・自衛隊が払う犠牲はかなりのものになるだろう。逆に人民解放軍にとってオスプレイは、目の上の巨大なたんこぶであり、軍事衝突の大きな抑止力になっていると考えられる。

こうした視点をわすれてオスプレイの危険度について論じることは、木を見て森を見ずのワナに陥ることがあるから注意したい。日本の防衛に役立つんだからオスプレイが頭の上から降ってきても我慢しろといっているのではない。総合的なリスクをどう見積もるのかという話だ。

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