ラオスにもハロウィーンはやってくる。
とかいったら馬鹿にすんなと叱られるかもしれないが、ラオスのように温暖でものなりのよい土地では「秋の収穫祭(ハロウィーンの起源は寒冷地に住むケルト人)」なんて格別にやらなくたって気楽に楽しく生きられるはずで、マジレスすれば場違いなイベント。
だが、アメリカ人はといえば亜熱帯どころか南極にいても火星にいても(きっと)ハロウィーンをやりたがる人種。もとは内輪で盛り上がっていたイベントが少しずつエスカレートし、今年はいつになく積極的に外部へ呼びかけたところ・・・
なんと1000人以上が参加する巨大イベントに。怪物のあとについて、さまざまに扮装を凝らした子供たちが練り歩く。アメリカ人やオーストラリア人などもいるが、人数でいえばラオス人が圧倒的。
パレードが済んだらトリック&トリートの時間。住宅街になぞらえて並べたクルマのトランクを開き、アメリカ人のおじさんやおばさんたちがお菓子を配る。
このイベントは妻の職場の協力を得ながらも、中心となって企画運営をしたのは職員の妻たち。実はわたしもボランティア「記録班」として写真を撮りまくっていたのだが、いやはやすごい熱気だった。
子供は大喜び。その様子を見ながら親たちも嬉しそう。主催者は300~400人も集まれば上出来と思っていたのが1000人を超えちゃったんだから、ハロウィーンはイベントの王様といってええんちゃう?どうよ渋谷に集う若者たち。
ボランティアのうちで最もキツいのは、お化け屋敷担当だった。閉め切ったテントの暑苦しい暗がりにバケモノの扮装をして潜むこの仕事は常温サウナと呼んでいいだろう。
30分も続けるとフラフラになるこの役目は妻も担当していたが、一生ぶん汗かいたといって目のまわりを窪ませていた。このようにして労力は自前でなんとかなるものの、子供が盛り上がる会場にしようと思えば、さまざまなレンタル料金もかかって、予算規模はけっこうなものになる。
入場者からは些少ながら入場料を頂戴し、飲食などの屋台に来てもらい、売り上げからちょいといただく方式で、なんとか赤字をまぬがれるかどうかという感じだったらしい。
ステージではカントリー系のレパートリーをもつ素人ガイジンバンドが「カントリーロード」やら「ジョリーン」やらの鉄板ネタで盛り上げ、なぜかラオスの子供たちがじっと聞いていて笑えた。
イベントのしろうとによるイベントは、なぜ盛り上がったのか。楽しみ上手なアメリカ人の熱気に、控えめなラオス人がしっかり乗せられた?人間の喜びは世界共通だもんな。それと、ラオスの古い世代はアメリカへの恨みを残しているひとが多いけれど、やっぱり時代はどんどん変わっているのだろう。撮影班&お化け屋敷激担当かなり疲れながらも、よい体験だったと思っている。
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