モノのわかりが遅い自分が、はたと膝を打って気づいたことがある。それは死の恐怖について。
昔から思ってたんだよね、年寄ってのは死が目の前に迫ってきて恐ろしくないのかと。70歳はまだしも80歳を越えてくると、一般論として余命は数年。そのことを当事者の皆さんはどう感じているのか。仮にわたしがいま余命数年と伝えられたら間違いなくパニくる。もしもお年寄りの皆さんが朝目覚めるたび「うわ、また一日死に近づいた!」と思うのであれば、毎日がつらいばかりだろう。
この長年の疑問に(おそらく)正しく答えてくれたのが、わたし自身の肉体だった。お陰さまで人間ドック的にはまずまずの評価を頂戴しており、肝臓に死亡脂肪がつきかけていること以外に内臓疾患なく、原因不明のだるさ疲れやすさを除けば健康体だと思う(←けっこういろいろあるじゃねえか)。
一方でギックリ腰・ギックリ背中・テニス肘・手首の痛みなど運動器の故障が頻発し、1958年型ボディはくたびれ気味。この調子でいけば10年後にはコンナカンジに、20年後にはアンナカンジになるだろうと想像できるようになった。
まさにこれが答えだ。次々に現れる不調は、肉体の滅びの一里塚なのだ。しかも最初は一里(4km)だった間隔が3kmになり、2kmになり、ついには数百メートルおきに不調が現れるようになる。こうして肉体の滅びをイヤというほど実感してきた老人は、ごく自然な気持ちで死を受け入れることができるのだろう。
今から20年後、80代なかばのわたしはどうだろう。「おやそうかい。もうそういう時分だねえ」とゆったりしていられるんじゃないか。お年寄りは死がコワイわけではないのである。きっと。
それにしてもわたしは性能が落ちている。ペニーのシッターさんから「あの~、エサがなくなりかけてるんですけど」という連絡がきてびっくり。エサはちゃんと量って瓶に詰め、予備として4日分を添えて渡したはずなんだが、いったいどうしたものか、量り方を間違えたのだとすれば脳の滅びもそう遠くない?心配になってきたので脳機能チェック。本日は昭和48年12月・・・
こういうときは糖分をたっぷり摂って脳を活性化させるに限る。
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