わたしの大好きな貨物列車は、その線路に出ることができる。
線路に沿ってフェンスは立っているが、保線作業員の出入りのためだろうか、途切れているところがあり、べつに立入禁止とか書かれてないから入ってもいいじゃん?というペニーについていく。
ちょうど貨物列車がヒトの歩くほどのスピードでワシントンDC方向を目指していた。きっと信号待ちをしていたのだと思うが、完全停止からの再スタートはディーゼル燃料を猛烈に食うので、運転士は絶妙なコントロールでのろのろ運転中・・・という妄想がはかどって楽しい。
長い長い列車の最後尾が来た。空の台車だ。車掌が見張っているわけでなし、ひょいとよじ登って潜り込めば、DCまたはその先の目的地まで連れて行ってもらえるだろう。どうするペニー?と聞いたらハァハァいって暑そうだったので、帰宅することにした。
どこか遠くの知らないところへ行ってみたいという衝動が強ければ、わたしたちのような暮らしは悪くないと思う。入国も滞在も政府がバックになってくれるから、めんどうな手続きなしで外国に長期滞在でき、そこを足場に周辺地域を歩き回ることもできる。
バングラデシュ暮らしで残念だったのは、ブータン旅行が果たせなかったこと。2年目に行こうと思っていたところコロナでアメリカ退避となり、ダッカに戻ったのは転勤直前。ブータンどころじゃなかった。
国民の幸福度指数MAXと伝えられるブータンだが、そういうもっともらしいデータには必ずといっていいほど裏がある。そのひとつがブータン難民。ブータン人には日本人に似た顔のひとが多いが、一方でネパール系の濃い顔をしたひとも少なくない。
だがネパール系住民(基本的にヒンズー教徒)の多くは、先代のブータン国王が90年代に断行した民族浄化政策により国を追われ、難民となった。
要するにブータンという国は、異教徒であるネパール系住民を追い出すことで作り出した「お醤油顔仏教徒の楽園」なのである。幸せの国ブータンというブランディングはそのころから始まり、わたしたちの知るところとなった。
なお、ブータン政府は自国民の追放を誤りとは認めておらず、難民を国内に戻すようにという国際社会からの再三の働きかけを頑として撥ねつけ続けている。気の毒なブータン難民の多くが北米やヨーロッパなどに定住したが、およそ6万人は未だにネパールの難民キャンプに留まっている。
わたしたちはブータンに対して殊更に意地悪になる必要はないが、この世に本当の楽園なんてものがあるのかという疑いを心に宿しつつ向き合いたいと思っている。というわけで相変わらずブータンへは行きたいと思ってるんだが・・・
今年になってブータン政府は、外国人から取り立てる「観光税」を大幅に値上げし、以前はひとり一泊あたり65ドルだったものが200ドルに跳ね上がった。これによりブータン旅行にかかる費用は以前の倍以上になるともいわれている。
ブータン政府の狙いは、観光客数を抑えながら外貨の獲得を増やすことにあると言われているが、なかなかどうして熟練の商人(あきんど)である。商人がつくりあげた観光システムを体験するだけでも「桃源郷」への好奇心は満たされるかもしれない。
ようこそブータンへ!
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