自爆覚悟で各地のクリスマスマーケットをハシゴしたわたしたちは、12月25日、古都ブルージュにいた。
中世の街並み(世界遺産)の中心には高さ83メートルの鐘楼がそびえ立ち、そこらの観光地とは渋さの格が違う。
ベルギー旅行するなら絶対に行けといわれるブルージュを9年前に訪ねたのはただ寒いばかりの1月のことで、鐘楼前のマルクト広場には何もなく、人も通らず、淋しいかぎりだった。
冷たい雨の降る晩おそく、どうしたものかレストランで夕食をとりそこね、ただ一軒開いていた中華料理屋のテイクアウトを、鐘楼の出入り口のわずかな軒下に立って食ったときの侘しさと面白さが強い印象に残っている。
今回、クリスマスのブルージュは華やかそのもので、目を奪われっぱなしだった。
広場をはさんで鐘楼の向かい側はレストラン街になっており、より取り見取り。表に立てたメニューに英語がない店が意外と多く、商売それでええんかいとは思ったけどな。
さて「不幸なブルージュ」の件。
この街は日本の平安時代に端を発し、鎌倉時代ころからは北海との間にひらいた運河を活用して一大物流基地となり、ハンザ同盟の中核都市として栄えた。アムステルダムなんかが栄えるよりずっと以前の話。
ブルージュに繁栄をもたらしたのが運河なら、商業都市としての息の根を止めたのも運河だった。
日本では室町幕府の屋台骨がゴタゴタ続きでぐらつき始めた15世紀末、北海から流れ込んだ土砂のせいで運河が浅くなり、必死の浚渫作業もむなしく大型船の往来ができなくなってしまったのだ。
それまで繁栄の頂点にあったブルージュの商業は運河の死によって崩壊し、代わりにこれといった産業が興ることもなく、時間の止まった古臭い街になってしまった。
幸いなことに20世紀ちかくになってブルージュに残された中世の風情が脚光を浴び、欧州各地から観光客が訪れるようになった・・・
という歴史がたりに耳を傾けながらボートツアーに身を任せ「結果オーライじゃん?」などと言っていたら、ガイドは立て続けにブルージュの不幸を披露する。
説明が大雑把なのと英語のクセが強すぎてよくわからん部分が多かったが、要するにブルージュにはオランダやフランスなど周辺勢力が押し寄せてきては厳しい支配を繰り返したというのだ。
延々と続く「不幸がたり」は、ブルージュひとつにとどまらないヨーロッパ全体の荒っぽい歴史をあらわしており、四海に守られた島国の有難味をあらためて噛みしめる極東民族。
ブルージュは、運河さえ埋まらなければ後発のアムステルダムに商業都市としての主役の座を奪われることなく繁栄し、華麗な都市美を完成させただろう。
そうはならず、中世の寂びた風情がよく保存されたところが、この街の売り物になった。
尖塔のあるこの建物は、
夜になると、
光り輝くカンバスになっていた。
市民や観光客から募集した俳句(!)の優秀作をディスプレーする芸術イベント。
これはオランダ語で「喜びも悲しみも分かち合う、うらやましきかな運河の橋」みたいな内容。ヨーロッパ人もやりますなあ。
この時期、運河ではさまざまな光のアートが展示されていて、夜歩きが楽しかった。
皆さん、冬に行くならクリスマスシーズンですぞ!
マルクト広場に戻ってきた。
「不幸の連続」を乗り越えて観光都市として栄えるようになったブルージュだが、それだけにコロナの影響は大きかっただろう。
わたしたちはこの街のことがけっこう好きで、応援もしたく、これからも足を運ぶような気がする。
盛んに行き交う観光馬車はまだ未体験で、馬の背から湯気がもうもうと立ち昇るのを見て「おんまさんガンバレー」などと盛り上がるだけだが、そのうち1回乗ってみてもいいなあ。
レストラン街はどこも大がかりなテラス席を備えており、例年のことかコロナのせいかわからないが、こういう場所での食事は「街にいる」感じがして楽しい。
とかいいながら注文するのは平凡な魚フライだったりして。
ブルージュには街並みだけでなく楽しいことがいろいろあって、泊まるならこのホテル!というおすすめもあり、あらためて紹介したい。
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