Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまラオス

思えば遠くへ来たもので

わたしが中学生だった1970年代前半のはなし。

ある元日の昼すぎ、前夜からの雪がずいぶん積もったわが家の玄関先で訪(おとな)いを入れる声がした。

「ごめんくださいまし、明けましておめでとうございます・・・」

誰かと思って家のものが応対に出たところ、それは年老いた三河万歳だった。

愛知県から200kmあまりを旅してきてた三河万歳さんは、本来「太夫」と「才蔵」のふたり組であるべきところ、長年の相棒が老齢のため引退したためひとりで演じているという。

わが家では初めてのことで(三河万歳はご祝儀をはずんでくれそうな裕福な構えの家を優先してまわる)、物珍しくもあり、さっそく玄関で演じてもらった。

70代中盤と思える三河万歳さんは、子供のわたしにはよくわからない内容ながら、「えへまか、おほまか」といった滑稽な言い回しや動作をまじえつつ、楽しく演じてくれた。

10分間ほどのひとり舞台が終わるなり、父が「せっかくですからお屠蘇でも」と万歳さんを居間に招じ入れた。

それから1時間あまり万歳さんは、本業がお百姓であること(古来、三河万歳はそういうものだった)、三河での暮らしぶり、諸国をめぐった体験談に花を咲かせ、屠蘇もずいぶん聞し召し、上機嫌で道中にもどっていった。

それから老万歳師は、翌年もその翌年もわが家に立ち寄り、万歳装束で居間に上がって楽しいひとときを過ごしてくれた。わが家でも、中学生のわたしですら師の控えめながら陽性なキャラクターにひかれてその到来を待ったものだった。

わが家を定期的に訪ねてくる老人がもうひとりいた。

遠い親戚の「キヌさま」というおばあちゃん(わが地方では年寄に「さま」をつけ、好意をこめて呼ぶ)。

キヌさまは腰が曲がって杖を突いてはいるが脚は達者で、毎週決まった曜日の午後「こんちわあー」と元気にやってくる。その時間、母はなるべく在宅するよう心掛け、キヌさまを歓待していた。

キヌさまは郊外の農家の隠居で、自分の畑の面倒を見て、そこで採れる野菜を親戚知人に配って歩くことを生き甲斐とし、歩いて1時間ほどのわが家にも足を伸ばしてきた。

ちなみにキヌさまは、日本のたいていの農村の年寄がそうだったようにいつも和服姿で、モンペを着用していた。

冬、わが家の掘りごたつに足を差し入れながら「お宅のはあったかくていいねえ」とひと息つき、茶飲み話にひと花咲かせたころ、テレビで時代劇が始まる。たしか「銭形平次」だったと記憶しているが、違うかもしれない。

キヌさまはその画面を熱心に見つめながら、「ああ、このお嬢さんは気の毒だねえ・・・」と涙ぐみ、首のタオルでそれをぬぐいながらヒーローの活躍を応援し、最後は決まって「よかったよかったねえ、ほんとに・・・」と目を細めた。

素朴さというものを絵にしたらこういうふうになるだろうと思えるのがキヌさまだった。

キヌさまと三河万歳さんはともに明治生まれ。そうしたお年寄りが元気にしていたのが70年代であり、わたしの周囲には大道芸をし和服で歩き回る農民がいた。

ところがどうだろう。あのような世界で生まれ育った少年が、今ではヨーロッパでクルマを乗り回してクリスマス飾りを集め、バタくさく部屋を飾ることが当然のような顔で暮らしている。

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左から独(ローテンブルク)、独(ケルン)、仏(リクヴィル)、デンマーク製

はるか以前にこの世を去ったキヌさまと老万歳師がこれを見たら、「よかったねえ」というだろうか。それとも「なんだかおっかないことだねえ・・・」と眉をひそめるだろうか。

わたし自身、自分の足もとがフィクションのようで落ち着かない気のすることがある。

思えば遠くへ来たものです。

年のはじめにそういうことを考えていました。

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