大陸から東南アジアに広がる中華系住民について民泊のおやじとして申し上げたいことはいくつかあるが、それはひとまず横に置いておき、感想めいたことを申し述べたい。
開業から半年ほどたち、夏を迎えたころ「おお...」と思い始めたことがある。中華系のお客さんは親を連れてくることが多い。30代の夫婦が幼い子供をふたり連れてくるのでさえ大変だろうに、それに加えて親たちをともなって日本まで来ている。
なかには足の弱ったじいちゃんばあちゃんをレンタカーに乗せ、手取り足取りでド田舎の観光地までやってくるゲストも。
やはりこのひとたちは親を、家族を大切にしているんだな。そうあらためて思っている。
いうまでもなく、親の存在の重さは夫婦に幸福をもたらすばかりではない。
中国では一人っ子政策のせいで「生まれなかったことにされた」子供は女児を中心に2400人にのぼると推計されており、そのほとんどは道端に捨てられて孤児院に入れられたり、得体の知れぬ人身売買業者によりどこかへ売られたりしてきた。
なお、推計2400万人の消えた子供のうち15万人ほどは、国際養子縁組により外国で暮らしている。言葉は悪いが、最悪の境遇のなかでは最高の結果だといっていいだろう。
最近観たドキュメンタリーでは、アメリカ人に育てられた21歳の女性が、生みの親と再会するため中国の農村を訪ねる様子を追っていた。生みの親はなぜ自分を捨てたのか。自分は要らない子だったのか。彼女にとってそれは自己の価値を確かめるうえで最も重要な問いだった。
親は涙ながらに語った。生まれたての娘を家から連れ出して孤児院に置いてきたのは、彼女の祖母だった。父親は遠くへ出稼ぎに行っており不在。その隙を突くかのように祖母は孫娘を棄てた。出産するなり娘を奪い去られた母親は、姑にさからうことなど「夢にも思ったことのない」古い体質のムラでの出来事。
それでは父親が出稼ぎに行っていなければどうなったのか。かれらの話を聞いていると、姑の断固たる決意をひっくりかえすことは不可能だったように思われる。
一家の長である姑は、我が家が周囲の村人からこれ以上馬鹿にされるのは耐えられないと考えていた。実は、この夫婦のあいだに娘が生まれたのは初めてのことではなく、すでに1男3女をもうけていた。ふたり目以降は誕生するごとに年収を上まわる額の罰金を政府に収めねばならず、娘たちを手放したくなかった夫婦は八方から借金したり出稼ぎに出たりしながら必死に生活を支えてきた。
そういう夫婦の価値観をだれが笑ったりけなしたりできるだろうか。だが祖母は、その世代のあいだで色濃く共有されている恥の感覚にたいそう敏感で、5人目の孫娘の誕生が彼女の堪忍袋の緒を切ることになったようだ。
それにしても・・・と、「親の専横」に溜息をついてしまうのは日本人の感覚であり、中華社会の常識はずいぶん離れたところにあるようだ。
ただ、親の子を思う気持ちというものは上記の文脈とは無関係に深いもので、出稼ぎに明け暮れてきたくだんの父親は、貧しい村のそのまた貧しい家庭に生まれた子供たちを、すべて大学にまで進ませるという驚異的な努力のひとであった。アメリカから来た「末娘」を迎えた姉たちが流暢な英語で通訳する様子を見ながら、番組の前段ではちょっと頼りないひとに見えたこの父親の骨の太さを思い知ることとなった。
わたしたちはいま日本にいる。ペニーはビエンチャンでお留守番。
ドッグホテルに着いたとき、1号の淋しくて申し訳なくてやっとやっとの気持ちを知ってか知らずか(知ってるわけないけど?)ペニーさんたらきゅんきゅん大興奮。
入館するなり「ペニー!」「ペニー!」と口々に歓迎してくれたスタッフさんに連れられ・・・いやどんどんスタッフさんを引っ張って運動場へ。
まあとりあえずヨカッタよ。
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