ローテンブルクでお金を使い果たし、サラダとパンで命をつなぐ車上生活者となったわたしたち。
実をいうとホテルには豪華な朝食があり、シェフであるオーナーが腕を振るう評判のメシだというのだが、ひとり20ユーロ(2600円)まで払ってドイツで勝負に出るか?的な迷いにより踏み切れず、このような仕儀とあいなった。
ちなみにこの朝は雨で、妻のズボンにはペニーの・・・
足跡がきれいにプリントされたのであった。
次の目的地はコルムベルクという街と定めていたが、ただ移動するだけではつまらない、沿道になにか面白いものはないかと妻が嗅ぎまわった結果、面白そうな博物館を発見。それなりの回り道にはなるが、足を伸ばしてみた。
それはドイツ中部フランケン地方を意味するフランコニアン野外博物館といい、中世以降のこの地域の民家100戸以上がここに移築・復元されている。
広大な敷地に、時代や地域などのテーマに基づいた建築群が散らばっている。
渡された地図は十数年前のもので、そのあと増えた家があるせいでわかりにくかったが、とにかく歩き回ってみた。最後のほうで「うへぇ...」な展示を目にするとは思いもせず。
この博物館の特徴は、ただ建物を保存するのではなく、実際の農地で作物を育て、牛・豚・山羊など家畜を飼ってリアルに農業していること。
だからここで出会うトラクターは雰囲気づくりのためではなく、ガチの本物。
ハチも飼っており、採取した蜂蜜は製品として売られていた。
この日は高校生の見学があり、養蜂についてのレクチャーが行われていた。
高校生たちはゴム長靴に身をかため、牛小屋の掃除やエサやりなど農業体験に汗を流していた。
民家の展示にもどろう。
たとえばこの農家で代々のドイツ農民がどんな暮らしをしていたのか。
中へ入るなり驚かされるのは、その狭さ。こんなちっちゃい居間でへたをすれば8人10人といった大家族が過ごしていたのか。
農家建築は大きなものが多いが、日本と同じく馬など家畜を飼ったり、収穫物の貯蔵庫にする部分が大きく、居住エリアはこんなもんだったりする。
ベッドは胸を突かれるほど小さい。それと寒かっただろなあ。
仕事はどうだったか。たとえばこの農家は羊を飼っていた。
刈り取った毛を出荷するだけでなく、家族の洋服や靴下を編んでいた。
フェルトの帽子は飾り気ひとつないが、それだけに花一輪を留めるだけで素晴らしく可愛くなるだろう。
このようなドイツ農民の質朴ながら堅実そのものの生き方が続き、やがて現代の豊かさへとつながってくるわけだが、過去にはとんでもなく停滞した時期があった。
ヨーロッパが経験した大停滞をものがたる展示は、場内に建てられた資料館にあった。
紀元前後(今から2000年ほど前)からこの地にはローマ人が入り込み、高度な文明を伝えた。そのひとつが建築技術で、当時の家屋の模型を見ると、今のわたしたちの家とそう変わらない姿をしている。
ところがそれから数世紀を経てローマ人が撤退してゆき、時代は中世となり、ゲルマン民族が建てた家はこんなかたちをしていた。
家というよりは粗末な小屋というレベル。地域を照らした大文明が消え去ると、物事がここまで後退するのかと驚くばかり。
中世ヨーロッパは暗黒時代と呼ばれることが多く、それはローマ人がもたらした技術と、その背景にある科学が弱まり、代わりにキリスト教が人間の精神を圧迫していったからだといわれている。
わたしたちはドイツをはじめとするヨーロッパの広範囲を覆った暗黒時代の始まりを、この家の模型によってまざまざと目撃することができるのだ。
大停滞のさなかにあった中世の農家建築が、復元されていた。
素朴さといえば聞こえがいいが、ローマ時代のスタイリッシュで堅牢に見えるあの建築と比べれば、みじめでしかない。
キリスト教からの圧迫をじわじわと押し返し、ヨーロッパ人は進歩に向けてがんばった。
水車に頼っていた農産物加工は、やがて蒸気機関を得て飛躍的に効率アップ。
そうこうするうちに自動車が発明され、農村はたいへん明るくなりましたとさ。
単なる郷土館的な展示かと思ってぶらぶらしていたら、思わぬかたちで中世の暗黒時代、ヨーロッパ人が経験した大停滞の始まりと終わりを目にすることになった。
この博物館は大当たりだった。
ペニーは普段にはない長距離を歩き、ウシさんブタさんを見て大興奮したせいで疲れ切ったのだろう、このあとクルマに戻ったら10秒でぐーすかいってました。
このあと目指したコルムベルクでは、古城ホテル第二弾に泊まったのだが、前回とはまったく違う趣向だったことや、日本人従業員との出会いが楽しかった。
それについてはあらためて。
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