Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまラオス

最後の段ボール箱

引っ越し荷物の開梱が進み、再利用できる段ボール箱は引越し屋さんに回収してもらい、そうでない箱は廃棄している。

そのなかに日本製のものがあった。 

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12年前、勤めを辞め夫婦で渡米するとき、身の回り品を詰めて郵送した8箱のうちのひとつだったと思う。

以来、数度の引越しをするたび、箱たちはひとつまたひとつと寿命をまっとうし、最後まで生き残ったこいつはなんとブリュッセルまでやってきた。

かなりクタビレてしまったし、今後の引越しは業者がすべて箱詰めしてくれるから、こんなものをとっておく合理的な理由はない。

だが、捨てようとした手が止まった。

このボロい段ボールが、自分たちの歴史の書かれた文書のように思えたからだ。

 

わたしたちの渡米は、計画していたよりも10年遅れた。

40歳で日本を出るつもりで準備していたところ、身内に不幸があり、故人の経営していた会社の後始末や遺族のケアその他に奔走しているうち50歳になった。

新しいことを始めるとき、40歳と50歳では気力体力ともにダンチの差がある。それを言い訳にしちゃイカンのだが、実際問題として不利なたたかいを強いられたところはあると思う。それは妻も同じだったにちがいない。

今も心のどこかに「あの10年を返してくれ」という叫びは残っていて、えらくカッコワルイことだがしょうがない。

渡米後、今度はわたしたちにとって身の震えるような苦しいこともあったが、妻は不屈の粘りで学業を修め、無給から始めた仕事で頭角を現し、キャリアを積み、人生の目標としていた職務についた。

わたしはそういう努力家ではない反面、根っから楽天的で毎日を楽しくすごすタイプで、いつも妻のかたわらにあって支えてきた(←と思ってるんだけど)ことに誇りを感じているし、世界を流浪する今の暮らしは楽しくてしょうがない。 

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あたし? あたしはどうかにゃー

で、この「最後の段ボール箱」を捨てようとした手が止まったのはなぜか。

単なるノスタルジー?

忘れちゃいかん何かを語るものだから?

これを書いているうちに自分のなかではっきりしてくるだろうと思ってたんだが、そうはならなかった。

慌ててホカす必要もないから、しばらくとっておこうかな。

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