小学生のとき、Tというぎりぎりで普通学級に来ている同級生がいた。
Tについての最も鮮明な記憶は、授業中にお腹を下して強烈な粗相をしたことで、内気な彼が先生に「トイレ」と言えなかった事情を皆が察してはいただろうが、同時に「アホなだけじゃなくキタナイ」というレッテルがTには貼られてしまった。
そんなこともあり、Tには友達と呼べるほどの子はおらず、孤独にしていることが多かった。
そんなTがある日の下校時間、わたしに声をかけてきた。
「オットーくん、いっしょにかえろ」
わたしは授業のグループワークなどでTとからむときは、彼の能力に配慮してうまく役割を振るなど気をつかってはいたが、休み時間に一緒に遊んだことはなく、ましてや放課後に行動を共にしたこともなかった。
そんなTが、なぜわたしと下校したがったのか。
一瞬とまどったあと、少しわかったような気がした。
孤独なTは、同級生たちがつるんで下校していくのを毎日見ながら、いつか自分もそうしてみたいと時機をうかがっていたのだろう。
もちろん声をかける相手は、ふだんTを馬鹿にしたりイジメにきたりせず、家の方向が同じ子に限る。その日たまたま教室を出遅れていたわたしがそのうちのひとりだった。
「いっしょにかえろ」というTの声音は少し上ずっており、決意文を読み上げるときのような必死さをはらんでいた。
だが、わたしは「うん」ということができなかった。
「あ、えっと、これから職員室へ行ったりとかちょっと用事あるんだわゴメン」
咄嗟のウソでTの誘いを断った。
理由はふたつ。
Tと何を話せばいいのか想像がつかなかった。
それと、Tと一緒の下校を誰かに見られることが怖かった。それは「カッコ悪いこと」だったから。
「うん、わかった・・・」
カクンと頭を落とし、ロボットのような動きで回れ右をして立ち去るTの背中に「やっぱり一緒に行こっか!」のひとことが喉までせり上がったが、結局それも飲み込んでしまった。
あれから半世紀。この件は何年かに一度、あるいは何か月かに一度、心の表面に浮かび上がってくる。
日本でイジメ事件が報道されるときには必ずそうなる。
自分ではいじめる側に立ったことはなく、むしろ割と正義漢だったと記憶しているが、こっそりやっちまったシカトの前科はあるわけで。
善人ぶって反省とかいうのではないけれど、どうしても取りきれないトゲ。
T自身はとっくに忘れちゃった?
いやどうかな・・・
4月の花が次々と散り、初夏が近いというのに、最低気温3度なんて日があって戸惑うこのごろ。
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