仏教寺院ツアーに参加してけっこう驚いたことがある。
王国時代のラオスは、王様が立派な寺院の建設に熱心で、歴代すごいのを作ってきた。なかには大小数千もの仏像を収めた寺もあり、信仰心の篤さをものがたっている。
美しい仏像に混ざって、激しく損壊した仏像も多く展示されていた。叩き壊されたもの、火をかけられて焼けただれたもの。いったい誰がこんなことをしたのか。
多くは侵略者によるものだったらしい。ラオスは西隣のミャンマーや南隣のタイから攻め込まれ、占領されることが幾度となくあった。都に乗り込んできた軍隊は、そのたび都であるビエンチャン(古くはルアンパバーン)を破壊しつくした。
ラオスを占領して支配下に置くのであれば、国土を荒れさせることは賢い選択とはいえない。だが侵略者たちの狙いは土地ではなく、人間を駆り集めることだったという。ツアーのガイドさんは詳しく語らなかったが、奴隷としてタイやミャンマーに連れ帰ったのかもしれない。タイもミャンマーも「ものなり」が豊かで、種を撒けば撒くほど収穫量が増えるから、労働力はいくらでも欲しかったのかもしれない。侵略者たちはそのパワーを見せつけ、ラオス人の反抗心をくじいて従わせる目的で、徹底的な破壊行為をしたのだろう。
ちなみに今でこそタイ王国は「微笑みの国」といって優しさをアピールしているが、ラオス人のような周辺民族からすると、負けん気の強い乱暴な連中であることが古来から続いていた。
一方でラオス人は、外敵の侵入を受けるたび都を明け渡し、素直に支配下に入る弱腰民族ともいえる(少なくともガイドさんは自嘲的な笑いとともにそう言っていた)。
支配者に対して従順であった証拠が、多くの寺院にある龍の彫刻。仏陀を守る力強い存在ではあるのだが、下の彫刻はちょっと様子がおかしい。
龍の体が折れ曲がったところを見ると、別の動物に牙を立てられていることがわかるだろうか。
龍がワニに半身を飲み込まれている様子を表している。
「わたしたち(龍)は、あなたがた(ワニ)に飲み込まれています」という、従順さのアピール。ラオスが他民族の支配下にあった時代につくられた龍は、たいていこうなっているらしい。
弱虫と嗤(わら)うのは酷だろう。静かな諦めの境地で運命に従ったラオス人に寄り添ってみることが寺院参拝客としての心の持ち方ではないか・・・
なんて思ってみたりした土曜日だった。
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