Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまラオス

アメリカが嫌われるわけ

(長いっす。でも、どうか、頑張って最後まで読んでください)

ベトナム戦争を知らないひとはいないと思うが、そのあおりを受けたラオスが人類史上もっとも激しい爆撃を受けたことはさほど知られていない。

ラオスに降った爆弾は、第二次世界大戦中に日本とドイツに落とされた爆弾の総数を上回った。国民ひとりあたり1トンの爆弾がラオス国民の頭上に降りそそいだ。

爆撃したのはアメリカ。そのせいでアメリカは、今でもラオス政府からひどく嫌われている。

首都ビエンチャンにある COPE ビジターセンターは、不発弾の被害者のため義足・義手をつくったり、生活支援をするNPOの展示館。

入場したとたん目を奪われるのは、大量殺人兵器クラスター爆弾が頭上に降りかかってくる展示。いわゆる爆弾型のケースが空中で割れると、内臓されている600個ほどのクラスター弾が飛び散る。

テニスボール大のクラスター弾は、1個でサッカーコート3面に相当する面積を吹き飛ばすことができる。そんなものが一度に何百個も降ってきたとき、威力の総計はどういうことになるのか。

クラスター弾 空っぽとわかっていても触ると不気味

アメリカ軍は1964年から74年までの間に58万回の爆撃を行い(24時間に180回の爆撃が9年間続いた計算)、200万トンの爆弾を投下した。

爆撃を受けたのは、ベトナムに接するラオス南部から中部の広大な地域。地図上の数種類のマークは不発弾除去に従事するNGOなどの活動地域で、これを一瞥するだけでラオスの国土の大半が爆撃でずたずたにされたことがわかる。

戦後ほどなくして農地の復旧が始まるなか、大きな妨げとなったのが不発弾だった。少なくとも2億7000万個投下されたクラスター弾のうち、最大で30%が不発だったと考えられている。8100万個の不発弾が散らばるラオスの国土は、人間が生きていけない土地になってしまったといっていい。

それでも農民たちは畑を耕し、田にコメを植えようとした。不発弾の爆発により命を落とすひと、手足を失うひとが続出した。

そのうちでも子供の被害は甚大で、茂みや土のなかから見つけた鉄のボールが手ごろなオモチャに見えるためついつい手を出してしまう。親からいくら厳しく言われても、ちゃんと理解できていない幼い子供たちが犠牲になっていった。

農民タアさんは、8歳と10歳の息子を連れて釣りをしていたとき、地面に転がる不発弾を発見。その危険性を理解していたターさんは、子供たちをただちに退避させたが、自分は不発弾に向かって行った。水中で爆発させると魚がよく獲れるという話を聞いたことがあったからだ。地面を這っていき、そっと手を伸ばして触れた瞬間、鉄球は爆発。ターさんは片目と両手を失った。

不発弾の被害に遭ったラオス人は約5万人。そのうち死者は2万9000人、負傷者は2万1000人にのぼる。こうした惨状を国際社会が放っておくはずはなく、各国のNGOなどが不発弾除去や義足・義手の提供にたずさわっている。

現在までに不発弾処理の峠は越えたといわれながらも、収束には程遠い。地面に作った煮炊き用のかまどの熱により、埋まっていたクラスター弾が爆発した農家など、被害は止んでいない。そうしたラオス人の苦しみを、わたしたちは使用済みの義足の展示を見上げながら、少しは想像することができる。

9年間、24時間に180回の爆撃により2億7000万個のクラスター弾をばらまいたアメリカの目的は、当時の敵北ベトナムへの補給路を断ち切ることだった。後背地ラオスでは共産化が進み、息を通じた北ベトナムに戦争物資を補給するルート(ホーチミン・ルート)が機能していた。アメリカにとって深い森林地帯に分け入ってのホーチミン・ルート破壊は不可能。そこで徹底的な空爆を行うこととなった。

ここで重要なことは、アメリカは北ベトナムとは戦争をしていたが、ラオスには宣戦布告をしておらず、ラオスもアメリカと戦火を交えることなく、空爆は完全に一方的な暴力だった。

この時期のアメリカは「ソ連を筆頭とする共産勢力が世界を飲み込もうとしている」というコミュニスト恐怖症にかかっており、ベトナム戦争において自由世界を守る「使命」が、あらゆる行為を正当化させていたといっていい。

このことがあったせいで、ベトナム戦争後のアメリカとラオスの関係はかなり険悪だった。地雷除去や犠牲者のサポートをアメリカが申し出ても「お宅の世話にはならない」とラオス政府は背を向けてきた。2016年、現職の米大統領として初めてラオスを訪れたオバマ大統領が「遺憾の意」を表明し、ラオスの回復のための最大限の助力を申し出たことによりけっこう雰囲気は変わったらしいが、今でもかなり神経を使う相手であることに違いはないようだ。

誰が悪かったのかという話はさておき、クラスター爆弾の実物に触れながらわたしが感じたのは、人類のオソロシサだった。破壊し、殺す方法にこれほどの知恵を出し、これほどの熱中ぶりを見せる生き物の賢さ、そして邪悪さは、いったい何に例えればいいのやら。悪魔かといったら悪魔が尻尾を巻いて逃げ出すほどだと思うんだけど、そういうことを考える機会としてビエンチャンの COPE ビジターセンターは、訪ねるべき場所として広島の原爆資料館におとらぬものがあると思った。

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