Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまラオス

暗闇をさまよってきた40年

発達障害を抱えた人生はどれほど大変なものか。

近年は障害のことが広く認知されるようになり、幼いころから適切な訓練を受けることで社会生活に適応しやすくはなってきているが、今から30年以上前の日本にそういうチャンスはほとんどなかった。

わたしが知る40代前半の男性は、今でいうコミュ障のため幼いころから対人関係がうまくいかず、イジメにあって学校から遠ざかり、親との関係も難しくなるなかで自信を失い、いわゆる二次障害を悪化させた。

引きこもって職歴ゼロ。今後も社会適応の目途がたたないことから、ちかごろ障害者年金の受給を申請した。そのとき役所に提出する「病歴・就労状況等申立書」に、彼の過去40年の苦しい足跡が記されていた。

 

まず、現在の自覚症状は以下のとおり。

・自己肯定感が低く自責的

・対人関係のトラブルにとらわれ妄想が大きくなり、その環境から逃げ出す

・何事も長続きしない

・整理整頓が苦手

・見て覚えることが苦手

・計画性がない

・相手の気持ちなどが想像できない、状況に応じた対応ができないなどコミュニケーションに困難を感じる

・急な予定変更等にストレスを感じやすい

・感覚が鈍くなった

・物事を楽しめなくなった

・新しい人に会うのが不安など

 

こうなるまでの彼の足取りを、申立書に記された【心療内科などでの治療歴】から読み取ることができる(適宜に太字・伏字を入れた)

 

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父親の仕事の関係で海外に住み、現地の保育園に通園していた。5歳頃日本に戻り、年長より幼稚園に入園。発達の状態や園での状況等は覚えていない。

 

普通級に入学。授業中着席はしていたが、通知表等でおちつきのなさを指摘されていた。学校での対人関係は難しく、2年生から4年生までいじめにあった。5年生への進級時に転居により転校した後、学校を休みがちになった。当時より整理整頓は苦手で、成績は低く、宿題などの提出物もあまりできていなかった。

 

中学校に入学後も学校は休みがちだった。コミュニケーションがうまくいかず、周囲からからかわれることが多かった。3年進級後は数日登校したのみで、不登校のまま卒業。当時は毎日のように父親の叱責があり、「死にたい」と思っていた。

定時制高校に進学したものの、2年目以降は登校できなくなった。そのため3年より通信制高校に転学したが、レポートを提出できず留年し、H〇年に中退。

定時制高校の頃、ファストフード店でアルバイトをしたが、ケアレスミスが目立ち、対人関係もうまくいかず、短期間で退職している。

 

大検受験のため18歳より予備校に通い始めたが、対人関係がうまくいかず、通学できなくなった。予備校が補習をしてくれたこともあり、19歳で大検に合格。推薦で短大に入学したものの、継続して通学できず、21歳のとき中退。 

 

(22歳頃)

対人関係がうまくいかないことや、何事も継続できないことに悩み、受診した。診断や投薬の有無などは覚えていない。数回通院し、カウンセリングを受けた。

 

(23歳頃)

発達障害を疑っていた親族の勧めで受診。注意欠如多動性障害の診断を受け、リタリン、デプロメール、レキソタンの処方を受けたが、診断が簡易的だったことや、強い薬が簡単に処方されたことに不信感が生じ、受診を中断した。

発達障害のある子の将来と今からできる準備」より

(24歳頃)

うつ状態があり、自宅に引きこもっていたが、やや軽快したためH〇年〇月よりビルメンテナンス会社で清掃のアルバイトを開始。細かいミスが多発したほか、大きな失敗も 2度ほどあった。将来に不安を感じたことなどから6ヶ月で退職。

 

(25歳頃) 

発達障害に関する書籍を読み、正確な診断を受けるため受診。発達検査を受け、注意欠如多動性障害と診断された。月1回通院し、デパケンR、デプロメール、デジレルの処方を受けていたが、改善が感じられなかったことや、自宅から遠く通院が大変だったことから中断した。H〇年頃、自分を変えたいという気持ちから20kgの荷物を背負いお遍路をしたが、変化はなかった。

 

(27歳頃)

通院、服薬によっても症状が改善しなかったため受診していなかった。変化を求め、H〇年頃より1年間、宗教の道場の研修生として過ごしたが、大きな変化は感じられなかった。H〇年頃からはタイマッサージの教室に通い、民間資格を取得したが、実際に働くことはできなかった。

 

(30歳頃)

問題の解決を求めて受診。診断は覚えていない。パキシル等が処方され、月1回通院して治療を受けていた。H〇年〇月より、■■(本人のきょうだい)が通所していたデイケアに入所したが、うつ状態により通所を継続できず、7か月後に中断、その半年後に退所。その後、NPO 法人〇〇〇の作業所に通所を開始。治療により症状改善せず、知人の勧めで〇〇クリニックに転院した。

 

(33歳頃)

知人の勧めにより転院したクリニックで、当初は2週間に1回、途中から月1回通院し、ストラテラと抗うつ剤による治療を受けていた。H〇年に作業所を辞め、姿勢矯正術の研修を受けたうえ、完全歩合給で勤務を始めたが、ほとんど仕事はできなかった。症状が改善せず、通院する気力もなくなり、1年半でクリニック通院を中断

 

(34歳頃)

うつ状態で通院する気力もなく、自宅に引きこもっていた。姿勢矯正の仕事はほぼできないうえ研修費がかさむため、行かなくなった。

 

(36歳頃)

状況を変えたいという思いから再受診。コンサータのほか抗うつ薬、抗不安薬、睡眠剤の処方を受け、月1回通院して治療を続けている。H〇年〇月より、以前通所していたデイケアに再度通所してみたが、合わなかったため中断。R〇年〇月より〇〇クリニックのデイケアに通所を開始したものの、うつ状態を繰り返し、気力がなく数ヶ月単位で通所できなくなる。

現在は意欲低下し、自宅で横になっていることが多い。家事などはできず、日常的に同居の家族の援助を受けている。

 

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成人後の記述には将来に不安」「自分を変えたい」「変化を求め」「問題の解決を求めて」「状況を変えたいという表現が頻出し、彼の叫び声、うめき声が聞こえてくるようだ。

以上、心に障害を抱えた者の辛さを理解する一助となればと思い、「病歴・就労状況等申立書」の概要を抽出した。

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