Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまラオス

ラブホでボコられそうに

90年代、ソウルへ取材に行った。南大門市場というなんでも売ってるマーケットで早朝から晩まで撮影するハードスケジュールのため、利便性を考えて市場内にある旅館に泊まることにしたところ、これがけっこうヤバかった。

薄汚れた鉄筋コンクリート、エレベーターなしの4階建て。客室はフロアーごとに7~8室あり、布団を敷いて雑魚寝するスタイル。手配してくれたコーディネーターは商人宿だと言っていたが、天井の蛍光灯を消すとミニランプが紫色に光るという変な感じの宿で、それもそのはず、なかばラブホテルとして利用されていることが2~3泊するうちにわかってきた。

とはいえわたしたちにとって旅館の用途などどうでもよく、粛々と仕事をしていたのだが、早朝からのロケにくたびれ果てて眠っていた4日目の深夜、ドアをばんばん叩く音で目覚めた。叩く音はそのうち靴でドスンドスンと蹴る音に変わり、わめき散らす声も聞こえる。かなり酔っぱらっているようだ。

韓国語はわからないが、ときおり「イルボン(日本)」という単語が聞こえてくるということは、何かわたしたちに用事があったのかもしれない。午前1時半。こんな時間にドアを蹴飛ばして怒声を発しているひとに「どんなご用事でしょう?」と応対するわけにもいかず、そもそも言葉が通じないからどうすることもできず、わたしとカメラマンと音声マンの3人は無言で顔を見合わせるばかりだった。

そのうち別のおじさんの声で「うるせえんだよコノヤロ、いったい何時だと思ってやがる?!」的な、おばさんの声で「迷惑だから出てっておくれ!」的な突っ込みが入り、ドア蹴りおじさんがひときわ激昂する展開もあり、ようやく静かになったのは午前3時をまわってからだった。

1時間半も「イルボンなんとか」と怒鳴り続けるにはそれ相応の背景があったことだろうが、この件に関しては当方ひたすら低姿勢でいるほかなく、それよりも3時間後に予定しているロケを安全に実施できるかどうかが不安だった。撮影は終盤に入り、大事なシーンを残していたから、諦めるわけにもいかない。

「おふたりの安全は全力で確保しますので」ロケを続けさせてほしいとスタッフに頭を下げたところ、「俺たちゃそのために来てるんだから気にすんな」とカメラマンからの力強いお言葉があり、拙者不覚にも目をうるませてしまったところに「おっはよございまーす!」と現地コーディネーターのキム君が出勤してきた。

昨夜の出来事を説明し、情勢偵察に出てもらったところ、ドア蹴りおじさんが「日本のテレビ局出てきやがれー」「ぶっ殺してやる!」と叫んでいたことまではわかったが、そのように怒っている理由については判然としなかった。これはキム君がわたしたちに忖度して伏せたからかもしれず、そうだとすれば気の毒なことをした。

ふりかえれば、撮影の初日に市場の管理組合へ挨拶に行ったとき、「あなたの『カムサハムニダ』は発音がきれいだね」と褒められ、勝手に韓国人に親近感をおぼえていたのだが、もとより日韓関係はそういう生っちょろいものではないのだと、あらためて気づかされた。

その日からわたしたちは常に周囲を目を光らせて警戒したが、トラブルなく撮影を終えることができた。かりにドア蹴りおじさんに遭遇することがあったとしても、悪い酒さえ入っていなければぶっ殺しにくるようなことはなかったんじゃないか。大韓航空機が仁川空港から離陸したときには「ふうっ・・・」という溜息が漏れたけど。

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