Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまラオス

ニコニコチャンピオン

小学5年のわたしがスキーの「カエルチャンピオン」だったことはまだ世界に知られておらず、わたし自身あるテレビニュースを見るまで忘れていた。21日のNHKはこう伝えた。

 

昨年度は学校でのいじめが過去最多となりました。こうした中、全国の子どもたちが集まり、いじめをなくすための取り組みを発表するイベントが開かれました(中略)

岐阜県の岐南中学校の生徒はクラスメイトなどの良い点を記入する「よかったよカード」を教室や廊下に掲示する仕組みを作ったことで、相手の個性を認めるようになり、いじめの防止につながっていると発表しました。

 

ほとんど同じことを54年前に体験した。小5の担任だったT教師は「クラス全員が何かのチャンピオンになる」イベントの実施を発表。足の速さ、コマ回し、マンガ描きといった特技を競い、1位の子がカエルチャンピオン、2位がオタマ(ジャクシ)チャンピオンとして認定を受ける。なぜカエルだったのかは覚えていない。

チャンピオンは立候補制で、複数いる場合はクラスの多数決みたいな感じで順位を決める。わたしはスキーのチャンピオンに立候補したが、同時にW君も立候補したため、数人の「審判」といっしょにスキー場へ出かけて勝負をつけた。わたしが見たところW君のほうが滑りが達者だったが、カエルチャンピオンに選ばれたのはわたしだった。W君は半年前に転校してきた新顔で、まだ友達が少なかったからかもしれない。

昭和40年代スキーヤー

そんなふうにしてクラスの全員がなにかのチャンピオンに選ばれていったわけだが、誰もが「えーっと・・・この子はどうするのかな」と案じる子がいた。学力はクラスの最底辺、家がたいそう貧しく服装は薄汚れており、そういうことがコンプレックスだったのか滅多に発言することのない女生徒Hちゃん。長所や特技が誰の頭にも浮かんでこないのだが、T教師が提示した「全員が何かのチャンピオン」というルールはなんとしても達成せねばならない。

たしか2週間ほどの立候補期間が終わりかけたころ、Hちゃんが「ニコニコチャンピオン」に立候補した。ふだん目立たないようにしてはいるが陰気な子ではなく、むしろいつも笑顔をたたえているHちゃんに、周囲の女子が「あなたニコニコチャンピオンに立候補なさいよ」とアドバイスしたのだと、女子のひとりから耳打ちされた。Hちゃんは文句なしの満場一致でニコニコチャンピオンに選ばれた。

思い起こせば、特技の少ない子が何かのチャンピオンになれるよう配慮する空気があの時のクラス全体にあり、Hちゃんならずとも無言の配慮によってチャンピオンの座を獲得した子がけっこういたと思う。そして、みんなが嬉しそうだった。

T教師があれをやった理由は知らない。当時はまだ学校でのいじめは社会問題になっていなかったから、あれは問題解決の手段ではなく、ひとりひとりの個性を認め合う教育だったのだろう。Tはバリバリの日教組運動員で、授業中に「反天皇制」やら「反米親ソ」の論を展開するものだから、保守的な家庭に育ったわたしは強い反感をいだいていたが、後になって憎めない存在として思い出すようになったのは、ひとえにカエルチャンピオンの記憶によるものかもしれない。

強者が弱者を置き去りにするのではなく、むしろ背後を振り向いては気にかける優しい社会の実現を、社会主義者のTは本気で夢見ていたのかもしれない。このコンセプトは21世紀に入り、多様性・ダイバーシティといった言葉で語られるようになった。

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