Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまラオス

ヤクザと酒を酌み交わした夜

なぜだか解像度の高い映像で思い出すことのできる体験。

その晩わたしは、友達のシンジ君と小田急よみうりランド前駅の近所にある赤提灯で飲んでいた。高校の同級生だったシンジ君のアパートを訪ね、一杯やろうといって繰り出してきたのだった。

お金のない学生らしく、なるべく安いつまみを頼み、ビール(ホッピーだったかも)をちびちびやっていたら、50年配のおじさんが声をかけてきた。

学生さん、このへんに住んでるのかい?

みたいな感じで自然な声のかけかただったが、わたしたちは心の中でギョッとした。おじさん、パンチパーマ。

1970年代の終わり頃、パンチパーマのすべてがそっち系というわけではなかったが、おじさんの服装と身のこなし、そしてなにより左の頬の深い傷痕からして、そっちの稼業であることが痛いほど伝わってきた。

えっ、あっ、はい・・・

小心な田舎者まるだしの応答。

さっさと会計して去ったほうがええんやろか、いやいやそれでは角が立つ・・・

その思いはわたしもシンジ君もまったく同じだったと思う。だが相手はこちらの怯えに頓着する様子などまるでなく、朗らかに続ける。

学生さんアメ車の話をしてただろ?オレもアメ車乗りだから嬉しくなっちゃってさ・・・

ネタさえ割れればびびる必要なく、わたしたちはアメ車談義にしばし興じることとなった。数年前のオイルショックからこっち燃費改善のため一斉におとなしいエンジンを積むようになった日本車と比べ、アメリカ車はまだ大きなエンジンをぶるるると回しながらおっとり走っており、一部の物好から熱い眼差しを注がれていた。

学生の分際であってもクルマへの憧れは自由だから、ともにアメ車ファンだったわたしとシンジ君は「やっぱGMのV8エンジンはさあ」などと熱のこもった会話をしているところにパンチ氏の参加を得たのであった。

三人のアメ車談義は世代を超えて盛り上がり、そのほか何をしゃべっていたのかさっぱり記憶がないけれど、とにかく四方山話に花を咲かせるうちに時計は進み、赤提灯はカンバンとなった。午前1時ぐらいだったと思う。

お勘定お願いします!

そう店主に声をかけた瞬間、パンチ氏の口から運命のひとことが出た。

おう、俺が払うから心配すんな。

咄嗟にお断わりするだけの才覚もなく、ごにょごにょ言っているうちにパンチ氏は支払いを済ませ、財布を尻のポケットに入れながらこう言った。

よかったら俺んち来て飲まねえか。

わたしとシンジ君は観念してパンチ氏の後をついていった。氏の住みかは谷間にあるよみうりランド駅から坂を上って7~8分ほどのところだったと思う。それは古びた木造アパートで、二階へ上がる露天階段がついていた。

階段を上りかけたパンチ氏がふと足を止めた。

これ、俺が酔っぱらってぼっこぼこにしたのよと言いながら指差したのは、階段を支える鉄柱だった。鉄柱には何か硬いもので叩いたような傷が20個ほどついており、ペンキが剥げ落ちて下地が見えていた。

あっ・・・け、喧嘩かなんかですか?

いやいや違うんだよ、一人で飲んでるうちにむしゃくしゃしてきてさ、日本刀持ってきてガッキンガッキンやったんだよ。

とんでもないところへ来ちまった。

(おい、どうしようか・・・)

シンジ君とひそかに目くばせし合ったが時すでに遅し。自慢話で機嫌のよくなったパンチ氏はスタスタと階段を上っていく。

それから明け方まで、パンチ氏が一升瓶から注いでくれる冷や酒を頂戴しながら、主に彼の身のうえ話に耳を傾けた。

この2DKのアパートには以前は女性と一緒に暮らしていたが、何か月か前に逃げられた(鉄柱襲撃事件の原因?)。

以前は「組」に所属していたのが、今は半分フリーのような立場である。

シノギ(稼業)についてはあんまり明かしたくない。

郷里(宮城県か福島県)にも親戚がおらず、天涯孤独。

刑務所には一回入ったことがある。

つまみもなく酒ばっかりでしんどい夜になったが、パンチパーマのひととゆっくり話をするのは生まれて初めてのことで、異世界を垣間見るかのような体験に少しばかり興奮していた。そんなこといったって実際にはけっこう固くなっていたわたしと違い、シンジ君は如才なくパンチ氏に質問したり相槌を打ったりして大人びていたけどな。

外がうっすらと明るくなるころ、パンチ氏が最後の一杯をわたしたちのコップに注ぎながら「引き留めて悪かったな、これでお開きにしようか」と言ってくれた。

けっこう優しいおじさんやないか。最初にびびったのは損やったかな・・・

そう思いかけたとき、「おっ、そうだったな」といってパンチ氏が押し入れから取り出してきたのが、一振りの日本刀だった。外階段の柱をガッキンガッキンやったアレである。鞘からずるりと抜き放たれた刀身は、刃こぼれなどという生易しい状態ではなく、ばっきばきだった。

それを目にした瞬間、酒の上とはいいながら鉄柱にこれを執拗に叩きつけるパンチ氏の姿が脳内でスローモーション再生された。ばきばきの日本刀。ひとの狂気というものをこれほど如実にものがたる物体をわたしは見たことがなかった。

やっぱり別世界のひとなんや。

度肝を抜かれて虚脱状態になったわたしは、パンチ氏が得意げにかざしてみせる日本刀にむかって「わあすごいっすねえ・・・」などと空疎なお世辞を口にしながら腰を浮かせた。

パンチ氏のもとを辞してシンジ君のアパートまでの道のり、互いにほとんど言葉を交わさなかったのは、酒と眠気のほかにこういう理由があったのだと思う。

あの日以来わたしは、コーコクダイリテンというヤクザの一種を除いてはそっち系のひとと酒を飲んだことがない。

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