ウクライナ以外に今ヨーロッパで最もおびえているのはバルト三国かもしれない。
エストニア、ラトビア、リトアニアはもとソ連の一部で、長年の念願かなって独立を果たしたものの、ロシアとその同盟国ベラルーシに接するという地理的条件は変えようもなく、ウクライナの次はこっちかという懸念が日増しになっているらしい。
バルト三国のロシアへの恐怖は今に始まったことではない。たとえばエストニアの首都タリンへ行くと、街の一画にとつぜん姿を現わすのが瓦礫の山。80年前、エストニアを占領するためソ連が大量の爆弾を落とした空襲の跡だ。
エストニア人は、美しく復興した首都のど真ん中に醜い傷痕を残すことで、ロシア人による暴虐の歴史を語り継いできた。
妻の同僚の友人でブリュッセルに住むTさんは、実家がタリンにある。ご両親は健在で働いているが、今回のウクライナ侵攻を見て即座に家や土地を売って現金に換えた。借家に移り、いざというときには即刻エストニアから逃げ出せるよう準備を整えている。医師や判事といった知識層がこういうことを始めているのだから、エストニア人のロシアへの恐怖は決して過去のものになってはないようだ。
同じくロシアと国境を接するフィンランドと隣国スウェーデンは、冷戦体制下ではヨーロッパの微妙なパワーバランスを考えてNATOには加盟しなかったが、今は国民の過半数がNATO加盟を希望している。
突然トランプ大統領の話になるが、下司トラが口にした言葉のうち数少ない真実のひとつに「NATO加盟国は防衛費を増やせ!」というのがある。
NATOは加盟国の防衛費の最低限をGNP比2%と規定しているにもかかわらず、冷戦後の平和のうえにあぐらをかいた欧州諸国はそろって消極的だった。
一方でアメリカは、時代の変化とともに圧倒的な軍事力でヨーロッパを守ることが難しくなるなか、酸っぱくして防衛力の増強を求めてきた。そこには「ロシアを甘く見るな」というシグナルも多分にふくまれていたはずだが、欧州諸国はアメリカの警告を聞き流していた。
それどころかドイツに至っては、ロシアから大量の天然ガスを輸入することで、国家の命運をプーチンにゆだねる能天気ぶりを見せてきた。
そうした事情を知ったトランプが「防衛のタダ乗りは許さん!」と怒ってコブシを振り上げたわけだが、その程度で流れが大きく変わることはなかった。
そして2022年。
ロシアの暴れっぷり見たデンマークが防衛費を1.35%から2%に引き上げると発表。
敗戦国として軍事面では常に控えめにふるまってきたドイツは、今回防衛費を一気に倍増させ、2%を超えると首相が明言。
「強いドイツ」の再現は欧州人にとって決して心地よいものではない。だがロシアが力に訴えて出てくる以上、反作用としてのドイツ再軍備は必然の流れ。
プーチンは寝た子を起こしてしまった。そんなふうに見ることもできる。
プーチンが自暴自棄になって核ミサイルの発射ボタンを押す可能性ゼロとはいえない現在、間違いなく攻撃対象である街に住み、エストニア人の不動産売却やら何やらの噂を耳にしながら、なんとなくざわざわした気持ちで過ごしている。
こういうときはお気に入りの音楽、冗談でも嫌味でもなくチャイコフスキーのバイオリンコンチェルトなんかを聞きながら心を静めたいものだ。
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