Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまラオス

プチ不登校から救い出してくれたのは

小学3年生から4年生のころ、学校へ行かない日がけっこうあった。

理由はよく覚えていない。授業についていけないとかイジメとかの明白な原因はなく、なんとなく学校がかったるかったのだと思う。

朝起きて「ああ今日も行きたくねえな」と思うと、母親に頭痛を訴えて体温計を出してもらい、電気アンカで37度を越えさせる仮病なガキだった(夏場はどうしてたっけ)。

多いときは3日連続で休むような感じだったが、年間出席日数の8割ほどは出ていたと思う。

ただそのせいでわたしはソロバンがまったくできない。

わたしの世代はソロバンの基礎を習うのが普通だったと思うが、その何回かの授業にいなかったからだ。算数の試験に出るようなものではなく、困ることはなかったが。

不登校は5年生のころには終わっていたような気がする。

学校かったりーな気持ちが雲散霧消したとは思えず、どうして毎日登校するようになったのか。

その理由をあれこれ考えてみたところ、5年生のとき転校してきた女子が原因かもしれないことに気づいた。

フミコちゃんは、わたしより身長が高く、まあまあ整った顔立ち、やさしくて言葉つきが少しエキゾチック(県内だが100km以上離れた土地からやってきた)で、かなり気になる存在だった。

お近づきになるチャンスを得ようと思えば学校をフケてなどいられない・・・というのは古今東西の真理。よくよく考えるにつけ、わたしを不登校の沼から引っ張り出してくれたのはこのフミコちゃんだったのではないか。

フミコちゃんとの関係は、少しは実のあるものに育った。

向こうもこちらを悪しからず思うところがあったようで、互いの行動パターンを読み取って昼休みに図書館で「鉢合わせ」たりしながら会話の頻度を増やし、だんだん仲良くなっていった。

当時流行っていたといえるかどうかわからないが、「おれたちもサイクリングってのやってみようぜ」ということになり、他に3人ほどの仲間をつのってサイクリング・クラブなるものを発足させたこともある。

そのとき手作りした揃いのワッペンは「サイクリングの頭文字」である「S」をかたどったもので、これは Cycling という言葉を知らない田舎の小学生がやりがちなミスでああった。

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スポーツタイプが普及する以前の話

6年生の夏休みには、わが家の裏の空き地にテントを張り「キャンプ大会」をしたこともある。スイカを食べたり花火をしたりして楽しかった。もうひとり男の子がいて3人でテントにおさまって寝たわけだが、仮にフミコちゃんとふたりきりだったとしても、わたしがヨコシマなことを考えた可能性はゼロと断言できる。それほど奥手な坊主であったことに絶対の自信があるからだ。

フミコちゃんとの仲は中学に上がったころから疎遠になり、自然消滅した。

たしか2年生のとき彼女はお父さんの転勤でふるさとへ帰っていき、その1ヶ月後ぐらいに電話で話した記憶がぼんやりとあるほか、わたしを不登校の沼から救い出してくれたフミコちゃんについて語る材料はない。

心臓弁膜症のせいで強い運動はできないといっていた彼女は、今でも元気にしているだろうか。

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