Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまラオス

つらかったあのとき

紅白の視聴中、スマホの日記帳を開いていた妻がこう言った。

「前回のお雑煮、オットーが手伝ってくれたんだねー。そのことが嬉しかったって書いてある」

ダッカへ来てから食事の準備はわたしがやってきた(妻は朝7時すぎに出勤、12時間後の帰宅が初期設定のため)と思っていたのだが、雑煮のときはサボっておったのやな。で、餅焼きだけお手伝いしたらしい。

その程度のことを妻は「うれしい」と記したのにはワケがあって、あの頃わたしたちは疲れてヘトヘトになっていた。

 

おなじく2020年元日の、わたしの日記。

「トビー(上の階の飼い主さん旅行中に面倒を見ていたワンコ)の散歩で始まった新年。小さな丸餅で雑煮、あべかわ。その後は正月らしいこともせず、部屋整理や昼寝」

イヌの散歩といってもマンション屋上の芝生に連れ出してしばらく遊ばせるだけのことで、運動や気晴らしの様相は皆無に近いというか、そういうエネルギーもなかった。

日記には、当時書いていたブログ(本ブログに引っ越す前のやつ)のモーチベーション低下についても書かれていた。

「記事書きのエネルギーが消えていく。ほんとにこれ続けていくのか。気持ちと労力の配分を考え直すというか、ほんとに必要なことをちゃんとやるよう立て直す必要あり」

ブログ書きはわたしなりの目的意識があってやってきたことであり、その意味では「ほんとに必要なこと」のひとつなのだが、当時はエネルギー総量がかなり減ったせいで、

目先の銭にならんもんに頑張れるか・・・

と、かなり消極的になっていた。

 

ダッカの劣悪な生活環境。自由に外出もできない単調な暮らしが1年ちかく続き、自分でも気づかぬうちにストレスの蓄積があったのだろう。

一方で妻は、週末もどんどん潰れていく激務に加え、職場の困ったひとたち(平易な言葉では大馬鹿野郎という)のせいで心身ともに消耗し尽くそうとしていた。

そんなトホホな夫婦の心の灯(ともしび)は、1月中旬から予定していた旅行で、そこまではなんとか歯を食いしばって頑張っていこうねというのがわが家の合言葉だった。

 

旅に出た。

ロンドン都心のホテルをとったくせに、最初の1週間はひたすら寝てすごすような体たらくながら、だんだん元気が出てきた。

2020年、なんとか頑張ってやっていけっかねー?

な気分になり、すでに中国からは新型肺炎の脅威が伝えられるようになっていたけれど、その時点ではまだ対岸の火事だった。

イスタンブールに移動。世界的なコロナの拡大が始まっており、イスタンブール最終日には、空港行きのバスで中国人と思われたらしく、金髪おばさんから露骨に嫌な顔をされた。

バンコクへ向かうトルコ航空機で食あたりに見舞われ、しかし乗務員に体調不良を訴えただけで大騒ぎになりそうな世情だったことから、脂汗を流しながら吐き気と腹痛に耐え、バンコク到着するなり空港近くのホテルに転がり込み、翌朝まで七転八倒。その後、予定通りリゾートまで移動はしたが、5日間の滞在のほとんどをベッドで過ごすことになった。

 

ダッカのストレスから逃れようとしたらコロナから強烈なパンチをくらい、それから1ヶ月後にはアメリカへ退避。またたく間に1年が過ぎた。

怒涛に揉まれながら見聞したこと考えたことは無数にあり、ペニーとの出会いがあり、ブログを止めるどころではなかった。

人間、忙しくなれば必死で走る続けるもんですね。

だけど2021年の正月はお雑煮なし、餅がないからなあと諦めていたら、パントリーの片隅でひっそりと出番を待つ切り餅がいた。

とっくに賞味期限の切れた乾燥三つ葉やぶぶあられを振りかけてみた。

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自分の名誉のために言っておくが、今回の製作担当者はわたしだった。妻が荷物整理で忙しかったもので。

明け方まで爆竹が鳴ったせいで寝不足だけど、まずまず機嫌よく正月を迎えることができた。

なにより妻が元気でいっしょにいてくれることが嬉しい。

みなさまにとって2021年が良い年になりますように。

コロナが容易に収まるとは思えないが、そういうなかでも自分にとって良い年にするだけの知恵と勇気が出てきますように。

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