このたびのてめえそれでも床屋か事件をはじめとして、プロ意識の感じられない仕事ぶりがアメリカには多すぎる。
通販に注文すれば違うものを送ってくる、郵便物がどこかに消える、破損した状態で配達されるなんてことは珍しくもなんともない。
最近では消費期限よりずいぶん前の牛乳が腐っていた。
いったい何をやってるんだこいつら。
アメリカには勤勉で有能な人材が多く、すさまじい労働生産性をほこる一方で、やる気のない連中もまた多い。
30年前、50年前のアメリカがどうだったのかを正確に測るモノサシはないが、いろんな話を総合すると、昔とくらべてだらしなくなってきた印象がある。
それはなぜか。プロ意識の低い連中は「自由」のはきちがえをしているのではないかとわたしは想像する。
自分は自由なんだから仕事がテキトーでいいという気分が時代とともに強くなってきたのではないか。
自由はアメリカの美点であり強さの源泉であり、わたしはこのことを昔から賛美してきたから、米国人を妻にもちこの国とかかわりを持ててことを大きな喜びとしている(←皇室風)。
だが現代アメリカは、成功にあぐらをかいているのではないか。
第二次世界大戦と冷戦を勝ち抜いてスーパーパワーの座についたアメリカは、20世紀最大の成功者だ。
その勝利への過程でアメリカ人は、「自由の国だから勝てた」と自信を深めると同時に、「自由だから何をやってもいい」と考え違いをする者を増やしてきたのではないか。
自由とは、他者への思いやりや社会への責任がともなうから価値があるのに、そのことを忘れて「何をやってもいい」という免罪符として使うようになれば、そこには無秩序しか生まれない。
個人レベルの小さな無秩序の集積が、ちゃんと仕事ができない大衆をアメリカに出現させたのではなかろうか。
他者への思いやりや社会的な責任感の欠如は、コロナ禍にあってマスク着用を拒否するアメリカ人の多さにも見ることができる。
お前は死なないかもしれないし死んでもこっちにはどうでもいいことだが、 ひとに移すことだけはやめてくれ。
だが自由が暴走し始めたアメリカは、コロナの脅威を軽視する大統領に導かれ、人的にも経済的にも世界で一番深い傷を負うことになるかもしれない。
アメリカが21世紀最大の負け組になる可能性、かならずしもゼロとはいえない気もする。
このことはわが家にも大きな影響を与えるのだが、さしあたりペニーが生きているあいだくらいは平穏かつ豊かであってくれと願っている。
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