自白するのがちょっと恥ずかしいのだが、ドライビング Miss デイジーという名作映画を初めて観た。
舞台は戦後まもない1948年、南部ジョージア州。
物語が始まってすぐにギョッとさせられたのは、ご婦人方が麻雀をするシーンだった。
アメリカ人もするんかー
と驚いた。現代の映画でアメリカ人が麻雀することはまずないと思うが、当時はポピュラーだったのだろうか。
この東洋のゲームがアメリカ人に広く愛されていたのだとすれば、それはセピア色の甘い記憶・・・
なんちゃって。
この件にわたしが強く反応したのにはワケがあって、それは妻のなかにある麻雀志向。
なぜか以前から興味を示し、指導をせがまれたので、パソコンのゲームソフトやなんかで基本を伝授した。
彼女の希望はあと二人をうちへ呼んできて、ほんとの麻雀をすることだったが、その話になるたびわたしは首を横に振った。
そんなアメリカ人おらんやろー
ところが妻はそれにめげることなく、「いやいや、どっかにおるで」と言いながら、ダッカ赴任にあたって麻雀牌を買い込み、引越し荷物に入れた。
ダッカ赴駐在員のなかから希望者を見つけ出し、必要に応じてトレーニングして麻雀仲間に仕立てあげようというコンタン。
もしかしたら妻の記憶のなかにある「麻雀するアメリカ人」がそうさせた?このたびそう思い至った次第。
ダッカでの麻雀計画がどうなったかというと、想定外の忙しさで妻が心身ともに消耗してトテモジャナイガ状態におちいり、麻雀牌セットは新品のまま。
今だったらもう少し余裕がうまれて計画始動となっていたかもしれないが、今度はコロナのせいで人が集まれない。
そう考えると、小さな卓を囲んで楽しくゲームするなんていう贅沢、いったいつになったらできるのやら。
地域と個人の判断にもよるが、へたをすれば来年いっぱい、いやもっと先か・・・みたいに思わなくもない。
こんな時代だからこそ麻雀に思いきり熱中してみたい衝動が突き上げてきたりして。
ところで「ドライビング Miss デイジー」だが、日本でも観られるし、ちょっとオススメしたい。
Miss デイジーはユダヤ人、その相手役となる運転手は黒人という設定を見ただけで、いま沸騰中の人種差別問題が背景にあると思い当たるだろうが、この作品はそのことを声高に訴えるものではなく、あくまでも穏やかにユーモラスに人間の交流を描きつつ「考えさせられるものあり」な内容だから、決して疲れたりはしない。
ちなみにこの映画の麻雀シーンは序盤と、それから20年ほどたった終盤の2回あり、人の一生のなかで変わらぬものと変わってしまうものが実にうまいこと語られている。
それと、引退したはずのドライバーが実は・・・という結末もナイス。
くどいようだが、しみじみと楽しめる大人むけの良作です。
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