Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまラオス

アメリカ、終わりの始まり

きのうはアメリカの独立記念日で、いつもなら米国籍を持たぬわたしもめでたい気持ちになっていたものだが、今年はまったくそうならなかった。

つい数日前、連邦最高裁は「大統領の公務としての行動は罪に問われない」という判断を示し、多くのマトモなアメリカ人の度肝を抜いた。

大統領がどんな悪逆非道をはたらいても、それが公務であるかぎりは断罪されない。つまり大統領は法を超える存在であると認定されたのだ。

今さら書くことでもないが、アメリカ建国の父たちは、「この国に王様はいらない」という強い信念のもとで政治システムを作り上げた。

当時の王様は法を超える存在であり、誰からも裁かれることがなかった。王の圧政により散々苦しめられ、大西洋を渡ってきたひとびとは、王様のいない国家を希求した。そして、大統領をはじめすべての国民が法の下にいる法治国家を作った。

だからアメリカ大統領は、わたしたちがイメージするほどには政治的なパワーを持っていない。議会が安全装置として常に機能しており、それがために物事がなかなか決まらないトロくさい政治になっているのだが、それだからこそ安全なのである。

そうやって民主主義を守ってきたアメリカでは、大統領は法を超える存在?なんていう議論は一度も行われたことがなかった。ひとは空気がなくても生きていけるかどうかってほどの愚問を誰も思いつかなかったからだ。

ところが、大統領選挙での敗北を認めず支持者を焚きつけて議事堂を襲わせたトランプは「あれは公務だった」と主張し、それを受けた最高裁は「公務だったら何をしても罪に問われないよ~」と応えたのである。

公務だったら何をしても罪に問われないのなら、リクツのうえではトランプがヒトラーと同じような悪逆非道をはたらいても平気ってことになる(国際法は別)。

まもなく建国250周年を迎えるアメリカは、すべての国民が法の下にあるという民主主義の神髄をかなぐり捨てる判断をしてしまった。

さすがは保守派が大勢を占める最高裁。トランプのごり押しで判事になったブレット・カバノーは少なくとも3人の女性から性的暴行の告発を受けているゴミクズで、今回まちがいなく恩人であるトランプを守るため法を超えさせる判断をしたに違いない。

そういうわけでアメリカの民主主義は、原理においては呆気なく終わりを迎えてしまった。これからアメリカはどうなるのか。世界はどうなるのか。今後数十年は、現在わたしたちが想像しているよりもずっとずっと悲惨なものになるかもしれない。

ちなみにこの件の発端は、議事堂乱入への誘導は公務だったというトランプの主張であり、公務だったら無罪だよと最高裁がサポートしたわけだが、もしもあれは公務ではなく私的な行動だったということになれば、トランプが罪に問われる可能性は残っている。

だが今回の最高裁の判断により、乱入事件へのトランプの関与をあつかう地裁の法廷は大統領選挙が終わるまでは開かれないことが確定的といわれており、トランプとしては当選に大きく近づいたといっていいだろう。

選挙の行方はさておき、アタマの狂った保守派判事が地獄の蓋を開けたことにより、アメリカの終わりが始まってしまったのだろうか。

国籍取得を保留しといて正解だったかも。

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