最近のニュースを見ていて、国際法っていったい何だろって考えることない?
たとえば米国によるイラン攻撃は「国際法違反の疑いが濃厚」と言われ、それに対して高市早苗首相が毅然とNoを言わなかったのは問題だ、という批判も出ている。教科書的に見ればかなり筋の通った正論だと思う。
だけどちょっと待てよ、国際法って国内法とはだいぶ性質が違う。国内法なら、違反すれば警察が来て、裁判があって、罰則が科される。でも国際法には、そういう強制力を持った執行機関が基本的に存在しない。極端に言えば、国家同士の合意、つまり“守ろうね”という約束の積み重ねなんやねコクサイホーてば。
なんだか頼りない話だが、それでも国際法にもとづいた評判や信用、同盟関係、経済制裁など、間接的な圧力はちゃんと働く。だが最終的に国際法は「破ろうと思えば破れる」ものであることは否定できない。特に大国であればあるほど、その誘惑は強い。
これまでは、国際法という不完全な枠組みの一番の支えになっていたのがアメリカの存在だったと思う。良くも悪くも、米国が「ルールの番人」の役割を果たし、国際秩序の骨格を維持してきた。ところが昨年からこっち、その前提が揺らいでいる。「自国第一で、あとは各国が勝手にやればいい」という空気が強まり、ルールを守らせる側が率先してルールを軽視する場面も出てきた。
じゃあこれから国際法はどうなるのか。完全に無意味になり、あとは弱肉強食の大混乱?
そこまではいかないだろな。むしろ逆で、「あると便利だから使う」という、より道具的な存在になっていくんじゃないかな。たとえば、自国の立場を正当化したいときには国際法を持ち出し、都合が悪ければ解釈を変える。理想から見れば後退だけど、現実としてはそういう運用が増えていく気がする。
「違反だから厳しく批判すべきだ」という声は確かに正しい。だが、それだけで国際政治が動くわけではない、ってのが現実。高市首相が強く出なかったことを単純に「けしからん」と断じるのは、理想論ぽくてむず痒い。実際の外交は、法だけでなく、安全保障や同盟、経済、タイミングといった複雑な要素の上で成り立っているからね。
結局のところ、これからの国際法は「守られるべき絶対ルール」から、「力と利益の中で交渉される共通言語」へと、少しずつ性格を変えていくのかもしれない。なんだか心もとないけど、それでも完全な無法状態よりはずっとマシで、各国がその言語をどう使うかが、これまで以上に問われる時代になっていくんだろう。
とくに日本は、中露の拡大主義とどう向き合っていくのか、アメリカがいつまで面倒をみてくれるのかといった百年に一度の難しい局面に直面しつつ、コクサイホーという外交言語をどう操っていくのか、正念場にさしかかってますね。

未明から降り続いた雨のせいで、出鼻をくじかれたペニーさん。
降雨時は屋外活動キャンセルってのがペニー法。
ブログのランキングというのがあって、これをポチしていただくとたいへん励みになります。