Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまラオス

夕飯の話をしただけなのに

家でまったりしていた休日の午後。夕飯に向けて空腹具合を尋ねられたわたしは、なぜかその日、普通じゃなかった。

「がつがつ食べるほどじゃないけど、食欲はまあまあかな。食べるなら2時間後くらいで……こってりじゃなくて、サラダと軽めのパスタとか、そんな感じ」

普段は「いつでもいいよ」「なんでもいいよ」で済ませる案件について、なぜか饒舌に語るわたし。妻が急に背筋を伸ばし、張りのある声を出した。

「あなたから、ご飯についてちゃんとした説明を聞いたの、初めてかもしれない。一緒に暮らし始めてから二十何年。あたし、今ちょっと感動してる」

感動されるほどの発言だったのかと、こちらが動揺する。だが考えてみれば、ふだん食事に関しては思考停止状態の男が、急にプレゼン資料でも用意したかのような説明を始めたのだ。妻の驚きも無理はない。

ではなぜ、わたしは食事に対してこんなにも消極的なのか。原因はほぼ確実に子供時代にある。

我が家の味噌汁には、煮干しが入っているのがデフォルトだった。しかも「だしを取ったあとの煮干し」である。

他のところにも書いたが、あれは人類が食べることを想定された物体ではない。味はなく、噛めば小骨がじゃりじゃり言う。存在意義はカルシウム一点突破。そんなものを「からだにいいから」と言って、子供に強要する。今なら通報案件?

わたしにとって家での食事は、どんな好物が並ぼうとも、煮干し入り味噌汁がある時点で修行に変わった。拒否して泣こうが、鼻水を垂らそうが、煮干しを完食するまでは解放されない。

しかも1~2匹ではない。ほぼ毎回5~6匹。親は大人なので食べない。地獄にはルールがある。

この経験のせいで、わたしの脳には味噌汁への強い警戒心が染みついた。抵抗なく味噌汁を口にできるようになったのは、大学の食堂で「普通の味噌汁」という文明に触れてからである。

ただしその頃には、食事を楽しむという回路はすでにだいぶ錆びついており、「腹が減ったから胃を満たす」という最低限の目的だけを果たす、質素というか無味乾燥寄りの食生活を送っていた気がする。

もちろん今さら被害者意識を振りかざして生きているわけではない。だが食事に対してどこか腰が引けるのは、無意識の自己防衛なのかもしれない。

一方で好き嫌いはあまりない。何を食べても「ウメエウメエ」と言うのは悪い性格ではないと思う。ただそれは、「煮干しさえ入っていなければ何でもOK」という、悲しい条件反射の結果かもしれない。

みなさん、子供のころ煮干し入り味噌汁を強要されたこと、あります?

たまに1~2匹なら我慢できる。でも毎回5~6匹(しかも親は食べない)って、リアル地獄だからね。宗教画に描かれてもおかしくないレベル。

……と、ここまで書いていたら、ペニーがそっと寄ってきて優しくヨシヨシしてくれた。

最近、仕事中もかなり長時間一緒にいてくれる。とても癒やされる。

2号はたぶん、ちょっと嫉妬している。

なお、あのときのわたしに「食事について語るスイッチ」が入った理由は不明のままである。

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