実家の土蔵に入ってびっくり。こ、この大仏は・・・?

そう、鎌倉だよね。そしてセーラー服姿で記念写真におさまるのは、高山高等女学校の生徒さんたち。叔母のアルバムに入っていた。
ほかに国会議事堂や皇居で撮られたものもあり、東京への修学旅行だったことは間違いないだろう。昭和15年前後のものと思われる。日中戦争が泥沼化し、追い詰められた日本がやがてアメリカとの開戦に踏み切ろうという時代ながら、日常生活はこんなふうに営まれていたのか・・・とけっこう驚いた。この時代を表す映像は「日本は騒然としていた」的なものばかりだから目が曇っているんだろうね。
もっと驚いたのは、山深い飛騨の女学生が汽車を乗り継ぎ乗り継ぎして東京まで行っていたこと。田舎とはいえ高等女学校(高女)の生徒の家庭にはそれだけの経済力があったのだろう。わが実家もそのはしくれに連なっていたせいか、四人の娘の全員が高女を卒業、長男(わたしの父)は遠方の大学にまで出してもらっていた。お爺ちゃんオカネモチー。
学生服姿の父がその母親と京都で撮った写真もあった。

この時代、田舎のひとたちは年がら年中ひっそりと暮らしていた的な先入観がガラガラと崩れ去る痛快な「贅沢写真」でありますね。
一転して胸を衝いてきたスナップ写真は、ニワトリを抱く末娘。

庭にしつらえた鶏小屋から毎日卵をとったものだと聞かされていたが、これがそれなんだろね。なんてかわゆい顔。だが彼女は、撮影から数年後の昭和20年、結核でこの世を去った。
実を言えば、その姉と母親の合わせて3人が(おそらく結核により)立て続けに亡くなり、戦争から復員した父が戻ってきたのは生き残った妹が守る暗い家。その妹も結核を発症しており、5年後に亡くなった。
そんな歴史があるものだから、わずか数年後には自分が命を落とすなんて想像もしていない叔母の柔らかな笑顔に涙が止まらなかった。なんにも知らずにのほほんと生きてきたオレを叱ってください。それとも抱きしめたりお小遣いをくれたりしますか🥲
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