Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまラオス

絶対死んでた

世界的な映画スターが日本の原チャリを宣伝。
 

ソフィア・ローレンの存在感だけでも話題をさらうには十分だったのが、ロードパルというこの HONDA のバイクはよく出来ていて、売れに売れた。昭和51年発売、5万9800円。大学生のわたしは手ごろな中古車を探して買った。
3万円ほどだったかな、学生身分としては大枚をはたいてバイクを手に入れたのは、通学電車が嫌いだったから。自慢じゃないが田舎の出で、人混みが苦手だった。
ロードバルでバイク通学を始めた。川崎市内の下宿から20kmほど。大学まで颯爽と飛ばすつもりが、なかなかスピードが出ませんでな、1時間ほどかかってしまう。そのうえ雨の日は雨が降り、冬は寒く、夏は暑く、今とちがってクルマの排気ガスが汚かったので服も汚れ、けっこうキツくはあったが、満員電車よりは100倍いいと思っていた。
半年もロードパルに乗ったころ、同級生Kから声がかかった。Kの持つスポーツタイプの原付と交換しないかという。

この YAMAHA のモデルは、原付とはいえけっこう元気がよく、ロードパルと比べてよほどスピードが出る。
この頃のわたしはスピードを欲していた。ロードパルで幹線道路に出ると、クルマの流れについて行けず、長大なトラックに抜かれながら肝を冷やすことが多かった。
即決で交換したスポーツバイクに乗り始めてしばらくして、わたしは千葉県我孫子市に越した。我孫子(ガソシじゃねえぞアビコだぞ)から都心部までは40kmあまり。川崎にいたときの2倍になったが、時間はそこまでかからず、1時間半ほどだった。
早く着く理由は、いうまでもなくスピードを出していたから。国道6号線という幹線道路は朝夕は混雑するが、夜中などはじゃんじゃん流れており、拙者の YAMAHA も緩い下り坂なら時速90キロは出たからねえ。
【この地図は高速道路なので、ほんの参考程度に】

普通だったら絶対に死ぬミスをおかしたことがある。
ある日の夜遅く、6号線の緩く長い下り坂を90キロで走行中、わたしは何かの電灯を赤信号と勘違いして、急停止した。後から来たクルマは停止することなく、びゅんびゅんわたしを抜いていく。そりゃそうだよ信号は青だもん。
決定的にラッキーだったのは、わたしが停車したのが2車線を分ける白線の上だったこと。普通に車線をキープして走っているクルマであれば、なんなくパスしていくことができる。

とはいえドライバーはかなり肝を冷やしただろう。もしもこの阿呆に追突したら、50メートルは跳ね飛ばして即死事故になる。
もちろんわたしも肝を冷やした。肘も膝も脳味噌もしびれた。10台ほどに抜かれたあと、わずかな隙が生まれた瞬間に猛然と発進し、ふたたび流れに乗った。忘れもしない、松戸警察署付近での出来事だった。
若いときゃいろいろ無茶もするが、これはひどかった。自分が生きていることは奇跡だと思う。そしてよく考えてみれば奇跡はこれだけではなく、いろいろあった。俺が生きているのはモノスゴイ奇跡だ。これ以外に何やったのかって?告白する勇気が出たら書くよー。
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