「赤ワインみたいな深い赤色のコート」
「あんなヤクザみたいな男のどこがいいの?」
の、みたいなって何?
と尋ねればチコちゃんみたいになってしまうが、あるとき「みたいな」の語源について考えこんでしまったことがあり、そのくせ調べる手間をかけることなく長い年月を過ごしてきてしまったのだが、明治に書かれた本のなかに、おそらくこれだろうと思う言葉があった。
夏目漱石のオソロシイ恋愛小説「虞美人草」の冒頭は、ふたりの若者が京都から比叡山へ歩いて登るシーンから始まるのだが、健脚ぶりを発揮してどんどん前へ行ってしまう相棒にむかってかける言葉がこれ。
「君見たようにむやみに歩行いていると若狭の国へ出てしまう」
現代人の「みたいに」を、明治のひとは「見たように」と表記していた。このとき発音はすでに「みたいに」になっていたかもしれないが、語源は「見たように」だと考えて間違いないだろう。明治のひと見たようにしゃべったら令和の世では変な顔をされる?
漱石の作家としての出発点はロンドン留学時代の苦労にあったといわれており、だったら留学は彼にとっての暗黒史なのかと思って作品集を読んでいたら、愉快な体験もけっこうしていたことがわかってきて嬉しかった。
漱石は大学の授業に飽き足らず、ウィリアム・クレイグというシェークスピア研究者の個人教授を受けていた。その体験を記した「クレイグ先生」という随筆を読んでいたら、この先生がわたしそっくりだったことがわかって笑えた。以下は、クレイグ先生と家政婦の日常的なやりとりの様子。
先生はそそっかしいから、自分の本などをよく置き違える。そうしてそれが見当らないと、大いに焦きこんで、台所にいる婆さんを、ぼやでも起ったように、仰山な声をして呼び立てる。すると例の婆さんが、これも仰山な顔をして客間へあらわれて来る。「お、おれの『ウォーズウォース』はどこへやった」婆さんは依然として驚いた眼を皿のようにして一応書棚を見廻しているが、いくら驚いてもはなはだたしかなもので、すぐに、「ウォーズウォース」を見つけ出す。そうして、「ヒヤ、サー」と云って、いささかたしなめるように先生の前に突きつける。先生はそれを引ったくるように受け取って、二本の指で汚ない表紙をぴしゃぴしゃ敲きながら、君、ウォーズウォースが……とやり出す。婆さんは、ますます驚いた眼をして台所へ退って行く。
なんと活気に満ちた名文かと舌を巻くと同時に、物のありかを妻に尋ねてばかりの自分のことを言われているようでこそばゆい。
みなさん、漱石はいいよ。名作ぞろいの長編ばかりでなく、短編や随筆にもいいのがたっくさんある。中古本や電子書籍ならすごく安く手に入るし、この際だからわたし見たように漱石本を手にとってみたはいかがだろうか。
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