Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまラオス

兄の選択、本当の理由

最近けっこう驚いたことがあり、思わずここに書く気になった。

わたしの六つ上の兄が京都の大学に進んだとき住んでいたのは、普通の学生寮やアパートではなく、長岡禅塾という、大学生が禅の修行をしながら暮らす道場形式の寮だった。そこには立派な禅堂が備えられており、今でも学生たちが朝な夕なに座禅を組んでいる。

一般人が体験することもできる

修行は座禅に留まらず、長い廊下やトイレ、広大な庭の清掃といった作業を含んでおり、大学に通う以外はかなり禅僧に近い暮らしをしている。

兄はなぜ長岡禅塾に入ったのか。高校の恩師に勧められてといった話だったと思うが、うちの稼業は坊主じゃなく、禅の修行をしたからといって誰かに褒められるわけでもない。

中学校の春休みか夏休みに、禅塾の兄を訪ねて数日を過ごしたことがある。寮生の部屋は2畳ほどで両隣との間に壁はなく板戸で仕切られているだけ参考写真。部屋にあるのは座卓と小さな本棚くらいで、兄はトランジスタラジオをイヤフォンで聴いていたと思う。そこに布団をキチキチに並べて寝た。

早朝、揺り動かされて目覚め、洗顔もそこそこに禅堂へ連れていかれ、見よう見まねで座禅を組んでいると、しばらくして僧形の監督さんが回ってきて、肩を警策でポンと叩いた。叩くというよりは触れるだけの優しいタッチで、飛び入り座禅を歓迎してくれたのだと思う。

禅塾に滞在中、兄は「弟分」をわたしに紹介してくれた。というか弟分が禅塾へ遊びに来たのだったと思う。高校生のそいつの家庭教師を兄はアルバイトでやっていた。家は裕福だが親との関係が難しく、あちこちへフラフラしがちな子だったところ、どうしたことか兄にはよく懐き、兄もそいつのことを心配して勉強以外にもよく面倒を見ていたようだ。明るいがどこか幼くて脆い感じのする少年で、3歳ほど年下のわたしですら「面倒見切れんなあ」と思わされるタイプ。それだけに、兄の精神にある気高さのようなものを感じた。

以上のことをふとしたことから思い出し、長岡禅塾について調べたところ、少なからず驚かされる記述があった。サイトにあるように、ここは企業からの寄付金によって運営されており、学生から寮費はとらないという。(禅塾を設立したのが日商岩井⦅現双日⦆の創業者岩井勝次郎だったことから、今でも岩井グループが中心となって支えている)

寮費は無料だった。兄が禅道場なんぞに住み込んだのは物好きゆえのことと思い込んでいたのが、そればかりではなかったのか。親の負担を減らすための選択だったのか。

たとえば禅塾からの通学は決して楽ではなかったろう。当時の交通事情は不明ながら大学までざっと1時間 はかかり、京都の都市規模からして短いほうではなかったと思う。禅塾での暮らしゆえ、他の学生が享受する楽しみとも疎遠だったに違いない。

兄と乗った京都市バス「しじょうからすま」という地名が耳に残った

こうした兄の選択には、1浪して京都で予備校に通ったことが影響していたかもしれない。予備校費とアパート家賃で親にかけた負担。それに加えて音楽大学をめざす妹にかかるオソロシイほどのお金。出来の悪い弟。家庭の事情が兄を禅塾へと向かわせたところがあるのではないか。

寮費はかからずとも学業には金がかかる。通学定期や本を買うためアルバイトに精を出し、「弟分」を可愛がり、禅の修行にもいそしんだ兄。半世紀を経た今、わたしの知らなかった兄が新たな人物像として立ち現れ、心のどこかで低い鐘の音をひびかせている。禅塾を選んだ理由について尋ねようにも、兄は20年ほど前に早世してこの世にはいない。

無いものねだりだが、禅塾を訪ねたあのとき兄の生き方についてもっと知ることができていたら、その後のわたしの人生(東京の私学でふらふら遊び、なんとなく社会に出てしまった)はちょっと別のものになっていたかもしれない。末っ子だからといってやはり自分は勝手気儘にすぎたかもしれないという反省が少しある。

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