Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまラオス

パリもブリュッセルもアレだったので

今さら何を言ってやがんでいという件を、散歩しながらしみじみと感じた。

バージニア州アーリントン郡にもどったら、道路がやたらにきれいなことにびっくり。

ブリュッセルではそこらじゅうにゴミ・食べかす・どろっとした痰・イヌの糞が落ちており、路上をにらむようにして歩かなければ不愉快な目にあう可能性が高かった。

糞はイヌのものだけだったらまだしも我慢のしようがあったが、ビルのちょっとしたものかげや街路樹の根元に人間のやつがべっとり張りついていることが珍しくなく、これには心底から辟易させられた。夏場はそういうやつに無数のハエがたかって緑色の山になっており、自宅の開け放した窓(クーラーなし)から1匹でもハエが入ってくるとかなり鬱な気分になり、必死になって追い出そうとしてものだ。

ブリュッセルの道路は放置されているわけではなく、けっこうな人数の清掃員が歩き回っていた。

この電動お掃除カートは騒音がほとんど出ない優れもので、大小のゴミをどんどん吸い取っていく。わたしにとって少しは胸のすく風景ではあったが、市民のなかに「どうせ掃除してくれるんだから」ポイ捨てOKの感覚ありだとすれば、永遠のいたちごっこなのかもしれない。

ヨーロッパの都市は写真で見たのよかキタナかったという感想をよく耳にする。1962年のフランス映画を見ていたら、主人公がパリの街を歩きながらパンやクッキーの包み紙をぽいぽい捨てるシーンが何度も繰り返されていた。

La Boulangère de Monceau (The Bakery Girl of Monceau)

捨てるのは路上ではなく、歩道と車道の境目にある下水溝の落とし口だから、いわゆるポイ捨ではないけれど、60年後のわたしたちにとって奇異な光景であることに違いはない。パリの路上は今でもまあまあ汚い。つまり、昔はこうしたポイ捨てが日本をふくめた世界中で普通だったのものが、あるところでは見られなくなり、あるところには残っているということなのだろう。

ブリュッセルでの暮らしは楽しかったが、道路や公園の汚さにだけは慣れることができず、常に生理的な緊張感を強いられていた(ある意味ではダッカのほうがましだったりする)。思わぬ展開により始まったアメリカ暮らしについてフクザツな思いがある一方で、散歩の快適さだけは間違いなくこちらがベター。

ただしペニーは、食べ物のにおいがそそってこなくてつまらないかもしれない。じっさい彼女はブリュッセルのときほどには執拗に地面を嗅ぎまわらなくなっており、そのぶんわたしは事故の心配なく気楽に散歩できている。

日本のようにワンコのおしっこをペットボトルの水で洗い流すってほど民度が高くないのも気楽でよろしい。

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