おそらくペニーにとっては生まれて初めての海。
キャップ・ブラン・ネという砂浜でペニーが何をしたのかというと、めちゃくちゃ興奮した。
すごい勢いで走り回る。砂の感触が楽しいのかもしれない。
ペニーの大好きな石投げを妻がしかけたところ、すごいテンションで早く投げろコール。
投げるといってもそう遠くに飛ばすわけにもいかず、ほんの波打ち際をねらう。
ところがそこへザンブと波が打ち寄せるのが海のオソロシイところ。
ああっ!
だがペニーさん、
石ころくわえてしっかり生還。
最初、波の動きや音を怖がるかと思ったが、この「ダイビングキャッチ」がいたくお気に召したようで、きりなくせがまれた。
そんなわけで、ペニーはドーバー海峡のマーメイド。
親馬鹿これに尽きますな。
浜から少し移動して、イギリスに一番近いポイント、グリ=ネ岬を訪ねる。
対岸の白く細い線がドーバーの白い壁として知られる全長およそ100kmの崖。肉眼でもこんなによく見えるとは知らず、大陸とイギリスの近さが実感できた。
対岸のドーバー、フランス側のグリ=ネ岬ともに、その近さゆえ両側の勢力によるきな臭い歴史が刻まれてきた。
岬の突端に、16世紀に築かれた砦(函館五稜郭の原型となったフランス式)の跡がある。
砦の主は当時フランスに攻め入っていたイングランド王ヘンリー8世で、ヨーロッパ史のぐじゃぐじゃぶりを物語る遺跡だ。
第二次世界大戦中には、フランスを占領したドイツ軍がここに砲台を築き、イギリスをはじめとする連合国に睨みをきかせた。
コンクリート製の砲台や掩体壕は、ほぼ当時のまま残されている。
こんなけんか腰の施設を置いて無事で済むわけもなく、戦争末期にこのドイツ陣地は連合軍による激しい攻撃を受けた。
気の毒なのは岬に近い街むらで、むかしから戦争のたび打ち壊しや略奪を受けてきた。
繰り返されてきた暴力、戦争。
ドーバー海峡をはさんで、史上どれほどの人間が命を落としてきたことか。
その荒々しさは、国土を侵略された経験といえば鎌倉時代の元寇くらいしかなく、太平洋戦争では沖縄を犠牲にするだけで本土は事なきを得たというのに等しい日本人には想像しにくい。
それでも欧州の国々は、互いに紳士的にふるまい、影ではそれなりに互いの悪口を言い合いながらも協力してやっていこうとしていて、なかなかの人間力。
わたしたちはラッキーピーポーなのと同時に鍛錬不足の甘ちゃんなんだなあと、こういうところへ来るたび思わされるのである。
このあとシーフードを山ほど食ってブリュッセルへ帰ってきた。
フランス北岸には興味深いところがいくつかあり、時間のとれるときにゆっくりまわってみたい。
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