わたしのなかでドイツというのは、表現がたいへん乱暴で申し訳ないが「ヨーロッパのど田舎」という位置づけ。
キーワードはローマ文明。
ローマ帝国は、紀元頃までにガリア(フランス)、イスパニア(スペイン)、ブリタニア(イングランド)までを征服して版図に組み込み、各地に華やかな文明を伝えた。
だから現代の西ヨーロッパ人は、自分たちは「ローマの子供」であるという高らかな誇りを胸に秘めている。
アメリカ人ですらローマの子供意識が強く、ホワイトハウスをはじめとする公共建築はローマ様式が多く、大学の卒業証書なんかもラテン語で書かれていてみんなで有難がっている。
だが、ローマ文明はドイツの地には来なかった。
一部は来たんだけど、西南部にちょっこしという感じだったらしく、しかもその時代には現代ドイツ人の先祖ゲルマン人は東方からの移動を済ませていなかった。
そういうわけで「ローマの子供」とはいえないドイツ人は、フランス人などから少し馬鹿にされている部分があるように思われ、そのせいでわたしなんぞに「ど田舎」あつかいされてしまっている。
ところがドイツには、これでもかってくらい濃厚なローマの足跡が記されていた。
ドライブ旅行の終盤に目指したのは、ドイツの西の端にあるトリーア(トリアー、トリールとも表記)。
トリーアは、ローマ遺跡群が世界遺産になっている「ドイツ最古の街」だという話はこちらのサイトでざっくりどうぞ。
トリーアは、なんといっても街の真ん中にあるローマ時代の市城門が強烈。
つくったのはもちろんローマ人。この地にアウグストゥス帝が植民市を建設して以来、トリーアはローマ帝国のヨーロッパ進出のための重要な拠点となり、「第二のローマ」とすら呼ばれていたという。
第二のローマって、すげえステータスじゃね?
それほど歴史ある街だから、ドイツ最古といわれる教会がある。
4世紀に建てられた大聖堂。だが、この地をローマ人が去ったあと侵入してきたゲルマン人(フランク族やノルマン族)がこれを繰り返し破壊した。
恐るべし蛮族ゲルマン人(←あくまで当時の認識)。ローマの遺産を引き継ぐどころか、ばりばりの破壊王だった。
それでも大聖堂は壊されるたび再建され、時代ごとの様式で増改築がなされ、現代の壮麗な姿になった。
大聖堂や市城門など、ローマ帝国ゆかりの建築群は世界遺産に指定されている。
個人的には中庭に埋葬された歴代の坊さまの墓がいちばんヒューマニスティックで気に入ったけど。
ドイツ最古の教会に仕える生涯は、どんなものだったんだろね。
大聖堂では、1ユーロを置くとローソクをいただける。
聖母子像の前で手をあわせ、妻は何を祈っていたのか。
わたしはこの結婚生活があと100年続くことを真剣にお願いしておいた。
脈絡ゼロだけどトリーアではわんこをよく目にしたので、その可愛らしい姿を記録しておく。
追記:ミニピンと書きながら違和感あったんだけど、バセンジーではとの指摘を頂戴した。おそらくそうですね!
そらなんたって一番かわゆいのはうちの子ですけどね。
・・・だよねっ?
親馬鹿はさておき、このトリーアを妻は「可愛い街だわー」といたくお気に召した様子で、再訪する気まんまんだった。
観光地として大人気のトリーアには、どんな楽しみがあったのか。
ここで迎えたわたしの誕生日はどんなんだったのか。
またあらためて。
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