ベルギー国境ぎりぎりの街アーヘンから40~50分南下すると、同じく国境に接した村モンシャウに入る。
「入る」というのはこの場合リアルな表現で、モンシャウは深い森を下る長い坂道をどこまでも降りていくとたどり着く川沿いの村。
白壁と木組みの素朴な佇まいがバエまくる。
ドイツには木造建築の美しさで世界的に人気の観光地がいくつかあるが、多くは壁が異様なまでにカラフルだったり、花で飾り立てまくったりして派手な街が多く、いったいどこまでがその街ほんらいの伝統なのかわかりづらい。それらと比べたときのモンシャウの質素なたたずまいがツウな観光客に受けているらしい。
日本人にはあまり知られていないのだそうで、観光情報についてはこちらのサイトをご参照あれ。
ところで300年ほど前(江戸時代中期)から基本的には変わっていないというモンシャウの街並みは、なぜこれほど質朴なのか。
谷あいの村は貧乏だった?
そうでもないだろう。300年前から100年前にかけては織物産業が栄え、この小さな村(現在の人口1万4000)で6000人が工場に雇用されていたというから、それなりの富が存在したはず。
それでもこの村はきらびやかに飾り立てられることはなかった。商人の街であれば、豪華な屋敷や立派な道路がビジネスマンとしての信用度を語る重要アイテムだったかもしれないが、工場労働者にはそんなもの必要ない。
自己満足で家を豪華にしたがるものはいたかもしれないが、「みんなと違うことはするな」的な同調圧力により地味な街並みが維持されたのかもしれない。
内陸盆地の小都市に生まれ育ったわたしは、そんな想像をめぐらしならがモンシャウをぶらつき、川沿いから斜面を上がっていく家々の屋根の重なりを楽しませてもらった。
村の教会へぶらりと入ってみて驚いたことがある。
表に十字架のキリストが掲げられたれっきとしたカトリック教会。
なのだが、 内部の様子はまったくの別世界。荘厳で麗々しい飾りはなく、質素な教壇が最奥の「上座」ではなく横っちょに置かれ、奥には十字架の代わりにオルガンが鎮座している。
神父や教会が高いところから教えを垂れるのではなく、信者ひとりひとりが直接神と向き合うプロテスタント教会のイメージ。
だがここには聖母子像が大切そうに置かれていること、なにより告解室が置かれていることから、やっぱりカトリック教会で間違いないだろう(プロテスタントは一般的に聖母マリアの神聖性を認めていない)。
キリスト教事情にくわしくない東洋人の目を混乱させるこのスタイルは、ドイツでは珍しくないことなのか、それともモンシャウの土地柄が生み出したものなのか。
神父さまがおいでになったらお尋ねしたいところ、今回はかなわなかった。
またモンシャウに来ることはあるのか。
冬に再訪するかもしれない。
モンシャウはクリスマス用品のマーケットが有名で、すごい人出になるというのだが、混雑が大嫌いなわたしたちとしてもこれは来とかないとね、みたいな。
谷底へと下るモノスゴイ坂道を自家用車で往復できるのかどうか知らんけど。
モンシャウでのコロナ下での宿泊方法(なんかドイツしっかりしてるようでそうでもないような・・・)、面白かったホテル、ゴキゲンの戦利品についてはあらためて。
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