ライデン散歩を早々に切り上げ、また来ようね~とかいいながらデルフトの街をめざす。
デルフトはブリュッセルへの帰り道を30分ほど行ったところにある。
あとで少し触れるがオランダの由緒ある古都であり、今は観光で栄えている。
ここも運河がチャームポイントで、それはもうテーマパークかと思うほどの街になっている。
ここの特徴は水面の高さ。
時間帯によるものかもしれないが、歩道のすぐ下まで水が来ており、一体感というか安らぎというか、居心地のよさを感じる。大雨のときどうなるのかについては考えないでおこう。
デルフトの運河は水草が多く、これが危うくペニーさんのイノチトリになるところだった。
まだ幼いせいか水草という概念が理解できないペニーさんは、そこが水面ではなく地面だと思い込んでしまった様子。
あっ、草いっぱいあるじゃん!遊びたいじゃん!
となって飛び込もうとする。
前脚が完全に飛び出していて、リードで引っ張っていなければ確実にじゃぼんしたはず。
首輪じゃなくてハーネス着用だから、落ちたところで苦もなく引っぱり上げることはできるが、まあやめといてもらいたい。
以上「転落の危機」についてあっさりまとめてみた。
デルフトの街の中心、マルクト広場へやってきた。
ここらの国はどこへ行っても街の中心がマルクト(マーケット)広場で、流通業が発展する以前の庶民生活を市場が支えていたことがよくわかる。
今はカフェでにぎわう広場の反対側を見ると、えらいノッポな建物が。
新教会とはいうが、14世紀から建設が始まった古いもので、ここには現代オランダ王国の始祖が眠っている。
オレンジ公ウィリアム(オラニエ公ウィレム)って世界史の授業で見たことあると思うけど、16世紀にオランダを占領していたスペインからの独立を企てて奮闘したえらいひと。
サッカーなどの代表チームが身にまとうナショナルカラーのオレンジ色は、このひとの名前から来ている。
で、デルフトの新教会にはオレンジ公の子孫たち、すなわち現オランダ王室の代々のひとびとが埋葬されている。
そもそもなんでデルフトなのかといえば、スペイン占領下の中心都市アムステルダムに対抗してオレンジ公がここに居をかまえたから・・・
ってのがデルフトの由緒を理解するための材料。
だがわたしらそんなオベンキョーしにきたわけじゃなく、デルフト焼きといわれる陶器の物色が主な目的だった。
デルフト焼きというのは、オレンジ公さん時代のちょっと前にイタリアから伝わった陶器を起源に、17世紀にはオランダ東インド会社がもたらした中国や日本の磁器(伊万里焼など)の影響を受けつつ独自の発展をとげたと旅行案内には書いてある。
わが家のスタンダードカラーである白と青のものが多く、いいのがあったら買っていこうと思っていた。
まあだけどこうのはじっくり見て歩かないといいものとは出会えない。2軒見たところで妻が「だいたいわかった、また今度」とのたまったので帰路についた。
去りぎわ、路上に描かれた大きなチョーク画を発見。
子供の落書きかと思ったらそうではなく、「ここから見てね」という印のところに立つと風景が立ち上がってきた。
地下コインランドリー(笑)
この街にはデルフト工科大学という名門校があり、大学町としての顔もあるのだが、もしかしたらこのチョーク画、理系学生のお遊びなのかもしれない。
それとは気づかずに通過するひとびとが「浮いている」のを眺めるのがたいへん面白かった。
以上、観光地としてかなり魅力的なデルフトではあるが、もしも住むならライデンのほうがいいかな。
ライデンもそこそこ観光地だけど、ふつうのひとびとの暮らしの存在感がデルフトよりは強く、心やすらぐ感じがしたから。
両方ともほんの一部をかじっただけだから、なんとも言えんけどね。
ドイツ人のお友達が「オランダは小さな村がいいのよお」と言っているので、いずれそういう方面も開拓していきたいと思っている。
とりあえず9月の休暇はドイツ方面かなあ。その先の東欧まで足を伸ばす衝動に駆られてるんだが、ちょい難しいかなあ。
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