Pennyと地球あっちこっち

日米カップルの国際転勤生活 ~ ただいまラオス

酔っぱらい運転で連れて行かれた先

19歳のわたしは深夜喫茶で眠ることが許されない理由をまだわかっていなかった。

渋谷駅すぐ近くの喫茶店のソファに座り、からだをぐらぐらさせながら睡魔と戦っていた。

カクンと落ちるたび、それを目ざとく見つけたボーイがやって来て「お客さん、寝ないでください」と揺り起こしてくるのがとても不愉快だったが、ケンカする元気もなくぐったりしていた。

べろべろに酔っぱらっていたからだ。

 

大学2年のわたしは、サークルの同輩先輩たちと盛大に飲み、慣れない酒に完全にやられていた。

当時、渋谷駅のハチ公像の前は噴水になっており、飲み屋を出たあとわたしはその池に落とされた。センパイにそうされるのは恒例行事だと事前に聞かされており、そんなのは固くお断りと思っていたが、酔いつぶれてしまえばへったくれもなかった。

その時点で電車はなくなっており、酔っ払い集団は深夜喫茶に移動。びしょ濡れのわたしも連れていかれた。

あのときボーイに繰り返し起こされることがきわめて不愉快で、なんという意地悪かと長いあいだウラミに思っていたのだが、最近になってちゃんとした理由があることを知った。

客を寝かせてもいいのは宿泊施設だけであり、営業種目がちがう喫茶店がそれをやると法律違反になるというのだ。

これに間違いがなければ、あの晩のボーイさんはしょうもない客を相手に一所懸命に仕事をしていたわけで、たいへん申し訳ないことをしたものだ。

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ハチ公前の噴水

喫茶店のシーンの次に記憶しているのは、クルマの窓の外を過ぎていく東京の夜景。

途中から合流したOBが、深夜に勤め先へ行って営業車を持ち出してきたらしい。

助手席には現役リーダー格のセンパイ。後部座席と荷台には4~5人の後輩たちが、あるものは座り、あるものは寝転がっていた。

酔っぱらい運転ながら無事に到着したのは、わたしの同級生Tが暮らす中野のアパートだった。

6畳間に転がり込み、ここでようやく眠れると思ったとき「事件」が起きた。

センパイたちがTを寄ってたかって押さえつけ、ズボンを引きずり下ろし、尻に乾電池を挿し込もうとしていた。

「やめてくださいよぉ~」と身を揉むTだが、本気で抵抗しているようには見えなかった。

実はこの奇妙な行為、サークルに代々伝わるイニシエーションのひとつで、軽いやつがハチ公池への突き落とし、重いやつがこの乾電池だったのである。

わたしは不覚にも池ザブンはされてしまったが、この乾電池だけは死んでも拒否するつもりだったから、酔いから少しは醒めかけた体をこわばらせていた。

Tのイニシエーションが済んだところで、センパイたちの手がわたしのズボンにかかった。

全力で抵抗した。

「いやですいやです、やめてください」が、最後には「やだっつってんだろがヤメロヤごるぁ!」の怒声に変わっていたと思う。

伝統のイニシエーションをわたしが甘んじて受けるとばかり思っていたセンパイたちは、「なーんだこいつ」としらけた様子で手を止めた。

こんな後輩、はじめてだったのだろう。

 

翌日からサークル内でのわたしのポジションが少し変わったような気がする。

よくいえばセンパイに逆らって自分の価値観を守るやつ。

悪くいえばみんながやることに従わないはぐれ者。

わたしははぐれ者であることに慣れていたし、こんなことでサークルに居づらくなるのならとっとと辞めるつもりでいた。

幸いにしてそうはならず、卒業まで在籍したのではあるが。

 

社会に出てからのわたしは、長いものに巻かれろ思考に抵抗し続けることにより周囲から煙たがられることが多かったと思う。

若いころは気づいていなかったが、今だったらわかる。わたしは悪人ではないがちょっとメンドクサイやつであり、電通でやらかしたとき同席していた上司は胸のうちで舌打ちをしまくったにちがいない。

近年よく使われるコミュ障という言葉は、対人関係が苦手な特別なひとに向けられたものだと思っていたが、よく考えてみたら自分もこれに含まれているようだ。

圧倒的な友達の少なさが証拠のひとつだろう。

死ぬときは淋しい思いをするかもしれないが、最高の同志である妻との毎日があればそんなことチラリともこわくない。

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