ブリュッセルの王宮を背にして新市街を歩き出すと、すぐにユニクロがあり(店内未チェック)、そのあたりから始まるワーブル通りを歩くと、雰囲気が一変する。
アフリカ系の食料品店、洋服屋、床屋、レストランなどが連なっており、通行人の大半が黒い肌をしている。
美味いと評判の食堂なのだろう、白人が大勢入っている店もあり、国際的な活気がみなぎっている。
このアフリカ人街、どこの国から来た人が多いのか知らないが、かつてベルギーが植民地としたのはコンゴだから、そのつながりの移民が多いのかもしれない。
彼らの暮らしぶりはどうか。
仕事にあぶれているのか平日の昼間から若いのがたむろして、こちらにとげとげしい視線を送ってくることもあり、緊張する。
この界隈、わたしたちのホテルから徒歩で数分の距離だが、残念ながら夜は足を踏み入れないのが正解かと思われた。
話は変わるが、毎日の散歩コースのひとつである近所の公園には、違和感まる出しの石像がひとつ立っている。
右奥の白っぽいやつ、赤いマフラーでもしているように見えるよね。
妙やなと思って近づいてみたら・・・
こうなっていた。
ペンキだろう。豪快にぶっかけられたものだ。
碑銘は「ストーム将軍」となっており、調べてみたところベルギーに貢献の大きかった人物。
どう貢献したのかというと、19世紀の末にコンゴへ乗り込んで征服し、コンゴ植民地化の先鞭をつけた。
当時のベルギーでは国王レオポルド2世が、植民地経営でボロ儲けする欧州列強の後追いを熱望しており、それに応えてコンゴを分捕ってきたストーム将軍はたっぷり褒められたにちがいない。
ちなみに当初のコンゴはベルギー国家の植民地ではなく王の私有地だった。
そして所有者のレオポルド2世は、天然ゴムの生産で大儲けするためコンゴ人を酷使するなどかなりの無茶やり、いくらなんでもそれはヒドイと国際社会から非難され、王の晩年、コンゴはベルギー国家に移譲された。
そんな歴史があるコンゴ(1960年に独立)のひとたちにとって、ベルギー、レオポルド2世、ストーム将軍に対しては言いたいことが今になってもあるあるのではないか。
旧植民地のひとたちの悲しさは、かつての征服者に頼ったり仲良くしたりしなければ食っていけない現実があること。
食っていけるはずと思って旧宗主国に移民してきたのに、貧しさから抜け出せずに苦しむひとも少なくない。
今ここでコンゴ人の恨みとストーム将軍像の赤ペンキを結びつけるつもりはなく、アフリカ人街からほど近いところに公園があったという発見について書いた。
ベルギーってよくわかんないけどオシャレな国?なイメージの裏でひとなみに暗黒面もあるよねという話。
ちなみにペニーには暗黒面はなく、ちょっとした崖っぷちを歩くのが好きなだけ。
ブログのランキングというのがあって、これをポチしていただくとたいへん励みになります。