いきなり東京オリンピックのことなんだけど、渡辺直美さんを侮辱する演出プランを考えたおじさんがぶっ飛んだのは当然のこととして、彼だけが悪者のようにして叩くのはどうかと思う部分がある。
体型いじりは元東京オリンピック演出統括氏だけではなく、日本ではけっこう普通のことのように見えるからだ。
テレビではお笑い系番組を中心に、デブやハゲを笑いものにすることが日常的に行われ、そういういじられ方を売りものにする芸人も少なくない。
それだけじゃなく、しろうとさんもけっこう体型いじりされてるよね?
・・・ということをわたしが意識するようになったのは、アメリカではメディアでも一般人の生活でも体型いじりは完全にOUTで、いわば無菌状態のような環境にいるからだと思う。
その状態で日本のテレビを見ると、大小の体型いじりにぎょっとさせられることが多い。
たとえば世界の果てまでイッテQの「温泉同好会」は体型いじり番組そのものといってよく、(あえてストレートに表現するが)デブでブスな芸人がひどい目にあうのをみんなで笑うことを目的にしており、わたしはイッテQは好きだが、温泉同好会になるとチャンネルを変えてしまう。
わたしが正義漢だといいたいのではなく、前述したようにいったんアメリカの常識に慣れてしまうと体形いじりを見るたび心が痛むのだ。
なにが言いたいのかというと、日本は体型いじりが容認されている社会であり、そのかなかで元演出統括氏は「ちょっとやりすぎた」から叩かれることになったというふうにわたしは見ている。
統括氏を許せといっているのではなく、彼がわたしたちの社会の一員であることを意識しようといっている。
そういう日本の常識はこれからどんどん変わっていく。ジェンダー差別の解消が欧米の背中を追いかけながら進んでいるのと同じく、体形や美醜で人間を区別する習慣も今後は着実に薄まっていくだろう。
どうせそうなるのなら、変化の先頭をいくつもりで体型いじりに背を向けてはどうかと思うのである。
「オリンピッグ」のネタにされそうになった渡辺直美さんのことだが、ネットメディアによれば彼女は
「デブ、ブスとか言われても、私はそれを乗り越えているというか、デブとかの次元にいない」と自身の中で容姿についてはすでに乗り越えている問題であることを明言。
と、自分自身は体型いじりを超越した境地にいるとしながらも、多くの太っている人の辛い思いに共感している。
「私はこの体をポジティブに伝えてきたつもりだった」「だけど、やっぱり今回のこの件でもう一度、10年前の昔に。そこに戻された」と問題視。今回の報道で傷つく人がいることを心配しながら「ほんとうにつらかったと思う、まだまだ私の力が足りない」と反省する一幕も
この発言が元演出統括氏のみに向けたものなのか、体型いじりを単なるユーモアだと思っている多くの日本人に向けたものなのか、そこをよく考えてみる必要があると思う。
彼女はニューヨーク暮らしのあいだに体型いじりは完全にOUTな空気をたくさん吸ってきたはずで、その意味で日本社会に対してかなり辛辣な視線を向けていることだろう。
だがそれをまともに言ってしまえば「だったらアメリカ行けよ」といった不毛なバッシングを受けるに決まっており、そういう日本社会のオソロシサをよく知っている彼女は「アメリカでは・・・」なんてひとことも言わずにいるのだと思う。
なお、ペニーがぶさかわという事実が揺るぐことはなく、その点をいじるのは社会的に容認されると思う。
あかん?
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