どの家でも同じことだが、実家や土蔵の整理には、大量のモノを捨てる格闘技みたいなところがある。
古~い家具をいくつか捨てるのに、ちょい精神をヤラれた。
市の資源リサイクルセンターみたいなところへ持参し、地面に掘られた深さ6~7メートルの穴に放り込むのだが、これが意外ときつい。
幼いころの手触りの記憶がある家具が穴の底に激突してぐしゃっと潰れたり、小さな引き出しが跳ね飛んでいったりするのを見るたび「あっ、ごめん!」と心のなかで叫んでしまうのだ。
穴に捨てられた家具は、一日に一度か二度、パワーショベルに叩きつぶされて木片になっていく。
翌日、別の家具を捨てにきたとき、きのう捨てたやつの姿が見えないことに少し安心したり、それがまた胸のつかえになったり、気持ちのアップダウンがあった。
親の遺品の多く(こういうのやこういうの)を保管扱いとする一方で、捨てる判断をしたものもあった。
たとえば父が研究や仕事で集めた資料や、綴じ込まれた業界誌など、本人の存命中はいささかの存在価値があったとしても、今後いつまでも置いておくわけにはいかない。
ことに親父のばあい、無類の几帳面さを発揮して膨大な紙類を溜め込んでおり、どこかで見切りをつける必要があった。
よいしょよいしょとクルマに積み込み、資源リサイクルセンターの焼却場へ運び込む。
クルマのリアハッチ(後扉)から取り出しては、焼却炉に放り込むのだが、そのたび父の筆跡を目にすることになる。
業界誌を数冊綴じ込んだ背表紙に「昭和36年上半期」などと墨蹟あざやかに記されたものが地底に向かって落ちていくたび、
おやじ、ごめん!
を繰り返すことになる。
カエデの葉も捨てた。
左のはワシントンDCのカエデで、10年ちかく前のものだから色褪せているが、ひろったときは5色に色分けできて楽しかった。
「これがアメリカの秋だよ」といって母親にプレゼントしたら、それに触発されたのか、実家の庭のモミジを拾ってきて一緒に飾っていた。
とっておこうかとも思ったが、こういうのは「記憶財産」とでも呼ぶべきもので、記憶の主があの世へ旅立ったのであれば、いっしょに煙になるのが正解だろうと思い、焼却炉にくべることにした。
いうまでもなく、投げ込むときはちょっと辛かった。
実家とは関係ないが、長いことやりたいと思っていたことがやっと実現した。
この山に、フェレットの遺骨を埋めた。
渡米する前の年まで飼っていたフェレットが死んだとき、すぐに専門業者に火葬してもらいはしたが、どこに埋めてあげようかと悩んでいるうちに日本を離れることになり、遺骨は実家で預かってもらっていた。
その後いろいろ考えた末、わたしの好きな故郷の山を選んだのだが、一時帰国中の慌ただしさにかまけて持ち出すのを忘れたりしているうち、時間がたってしまった。
今回、ようやく思っていたとおりの場所へ行くことができた。
12年も前に逝った子だったのに、骨を埋めながらわたしも妻もなぜか涙が止まらない。
病苦にさいなまれた最期のすがたが思い出されたからか。
あの子のために本当にすべきことができていたのかと、今でも思いまどっているからか。
それでもまあ、可愛らしかったあの子のことをちゃんと思い出すきっかけになってよかった・・・
なんて言ってたら親に叱られるだろうか。
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