人間ドックの日、検査が終わって医師から結果説明を受けるまでの2時間たらずをクルマで過ごした。
場所が渋谷だからお店はいくらでもあるが、人間との接触を避けたく、今回はなるべく車中でがんばることにしている。
代々木公園には初冬(銀杏が色づいているから晩秋か)の光が降り注いで気持ちよく、コンビニ弁当の味をワンランク上げてくれる。
この澄み切った空気とは裏腹に、人がいるところでは気持ち悪い思いをした。
喫茶店で人と会ったのだが、わたしたちのすぐ横にいた若い男女がノーマスクでしゃべり続けている。
こちらは飲み物に口をつけるときだけマスクをずらし、すぐに戻しては会話することをくり返していたのだが、隣のヤングはまるで無頓着。
わりと大きな声で話すだけでなく、ゲハハハハと笑ったりして、こっちは気が気じゃない。
「もしもこいつが持ってたら、かなりの確率で危ないなあ・・・」
席の移動を申し出ようかとも思ったが、相手からお招きをいただいての歓談であり、雰囲気に水を差したくはなく、ガマンしていた。
若者たちの反対側ではおばちゃん二人組の客がやはりノーマスクでくっちゃべっている。
これくらい日本では普通のことかもしれないが、トランピー以外のまともな国民がかなりピリピリしているアメリカから来ると、気になってしょうがない。
なかなかシンドイ体験であった。
翌日、横浜へ。
港の見える丘公園から外国人墓地あたりを歩く。
ペリー提督の部下が滞日中に亡くなり、葬ったことがはじまりという墓地。
海の向こうにアメリカが見えるような気がするからだろうか。
外国に暮らす身になってみると、祖国ではないところにこうして葬られたひとたちの気持ちがわかるような気がする。
日本を愛し、安らかに永遠の眠りについたひともいれば、世界の果てで朽ち果てることを嘆いたひともいたことだろう。
わたしたちはどこでどんな最期を迎えるのか。
不安というよりはロマンに近い想像を頭のなかで転がす。
墓地の周辺には「フランス山」「アメリカ山」などと呼ばれ、かつて諸国が兵舎や領事館を置いた丘がつらなっている。
アメリカ山公園でのひとこま。
数人の母親グループが幼い子たちを連れてピクニック。
母親が全員マスク着用だったのと比べ、子供たちは3人のうち2人ほどが非着用だった。
マスクを嫌がったり、マスクだけ着けさせても手でベタベタと触り合うなど、難しい部分があることはよっくわかる。
だけんどもこれじゃあママたちだけマスクしてても無意味だよね・・・
クラスターなんて簡単に発生するものだと、眼前の光景を見ながら痛感した。
それにしてもこのユルさでこの程度の感染ぶり。日本はつくづく不思議な国だ。
「みんなコロナ警戒ってどれくらいしてるの?」
誰かにそう尋ねるたび、真面目に頑張ってるよという声と、みんなテキトーやねえという声が交錯するばかりで、実態はさっぱり不明。
いずれにせよわたしたちとしては、あと10日ほどの滞在をなんとか無事に済ませたい。
万が一のことがあって予定どおりにダッカへ戻れないと、かなりマズいことになるので。
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